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オレンジ郡キリスト教会の紹介

オレンジ郡キリスト教会は、1920年に創立された東洋宣教会・北米ホーリネス教団に所属するプロテスタント教会の一つであり、18世紀に英国のジョン・ウェスレーによって始まったメソジスト教会の流れを汲んでいます。
その流れは聖書を神の言葉と信じ、キリストを「罪からの救い主と信じる」信仰にたっています。
その信仰の中でも私達の教会は、特にホーリネスという旗印を掲げています。
キリストによって罪の赦しが与えられ、豊かな品性が結ばれることに強調点を置いているからです。

オレンジ郡キリスト教会は北米ホーリネス教団の母体であるロサンゼルス・ホーリネス教会の開拓伝道の一環として、1960年にアーテシア市の大久保国次郎兄姉宅での祈祷会から始まりました。ロサンゼルス教会のメンバーであった彼らがオレンジ郡に移ったことが、その発端でありました。1975年には最初の日曜礼拝とサンデースクールが、スタントン市の内野常徳師宅で開かれ、その年の教団総会で北米ホーリネス教団のミッション教会として承認され、1977年にはオレンジ郡ホーリネス教会として正式に発足しました。


 

オレンジ郡キリスト教会を支えた牧師たち

【(一部紹介)】

1977年には、溝口俊治師が学生牧師として就任しましたが、それまでの間、斎藤孝志師、岸義紘師、桑原軍作兄、古谷轟兄等が講壇のご用をして下さっていました。同年には英語部礼拝もスタートし、黒田章師、片木ジョン師等が講壇のご用をして下さいました。その年の教団総会で、正式に教会として認められ、36名のチャーターメンバーの教会としてスタートする事ができました。
翌年の1978年には英語部に桜井隆師が牧師として就任し、溝口師は日語部牧師となる。その後、1982年に辻本清臣師が、1985年に中道善次師が学生牧師となり、1987年に杉村宰牧師が就任し、2016年には榊原宣行師が就任され、現在に至っています。
英語部は桜井師がサンタクララ教会に転任した後、大谷文三師が1992年に、1994年には益田デェロ師が就任して現在に至っています。
1993年には新会堂建築許可が下り、紆余曲折を経て、1995年の感謝祭礼拝の日に初めて新会堂での礼拝を持つ事が出来ました。 その翌年の1996年3月に献堂式を挙行しています。礼拝出席者は日英両語部合わせて約90名程ですが、毎月新しい方がホームページをご覧に成ったり、この地に移って来られたりして、オレンジ郡キリスト教会を訪れて下さっています。

【 ミッションステートメント 】

私達オレンジ郡キリスト教会 日本語部の使命は、罪の中にある人達を救うために十字架について死んで下さり、三日後に復活されたイエス・キリストの歴史的事実を、まだイエス・キリストを知らない日本語を理解出来る人々に、主の大宣教命令(マタイ28:18-20)に従って宣べ伝え、愛とホーリネス信仰を土台として、人々に信仰の成長をうながし、聖書によってイエス・キリストとの交わりを深め、聖書の教えとクリスチャンとの交わりによって、祈り深く、整えられたクリスチャンとなる事にあります。

 

オレンジ郡教会主任牧師:榊原宣行(さかきばら のぶゆき)”のぶ先生”

日本では毎年、流行語大賞というものが選ばれます。その一年で最も流行した言葉、ということで2024年に選ばれたのは「ふてほど」でした。当地アメリカで生活していますと、それが何なのかサッパリ分からない感じがするのですが、ドラマ『不適切にもほどがある!』がヒットし、それを略した言葉なのだそうです。このドラマは、昨今のコンプライアンス問題、○○ハラスメント、働き方改革などに一石を投じるといいますか、息苦しい時代の
中で一息つくような、そんな内容だということです。
 日本人もアメリカ人も、誰もがこの時代の中で何らかの息苦しさとか、生きにくさを覚えていることでしょう。「一寸先は闇」などという言葉がありますが、まさに、この未来に光を感じることが難しいという、それが現実です。しかし聖書は語ります、イエス・キリストはこの世の光なのだと。そしてキリストを信じて生きる者もまた、世の光となることが出来るのだと。
 教会は、限られた一部の人が集う場所ではありません。どなたでもお気軽においでくださることのできる、そんな場所です。ぜひお出かけください、あなたのおいでをお待ちしています。


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