石叫■ 「感謝祭」
また今年も感謝祭がやってきた。毎年、確実にこのシーズンが巡ってくる。
「年々歳々花相同じ、歳々年々人同じからず」という古語がある。
いつの時代でも花は変わらずに毎年のように咲くが、昨年まで一緒にいた顔ぶれが今年は変わっている。
人は絶えず変転しているというのが、この人間の世界である。
この変わりやすい世界にあって、自分もいつかこの世界から立ち去るべきことを覚えて、今年もいつまでも想い出に残る幸いな感謝祭でありたいものだ。
先週のNHKの特別番組で百歳の現役医師として活躍しておられる日野原重明氏のドキュメントが放映された。
以下、先生の『生き方上手』より抜粋する。
「いかに死ぬか」を考えることは、
「いかに生きるか」を考えることでもあります。
人生の終りには、感謝で締めくくりたい。
そのためにも、日々感謝の気持ちをもって生きることが大切なのです。
「ありがとう」というひと言は、決して言いすぎることはありません。
毎日、「ありがとう」と言えることに出会っているのです。
これまでのすべてのことに、すべての人に、
「ありがとう」と言える生涯を送りたいものです。
番組を観ていて感じることは、先生の患者さんに対する励ましの素晴らしさである。
末期の患者に対して、彼らの笑顔やちょっとした体調の変化を機敏にとらえて励ます姿勢は、さすが人生の達人だとおもわされて唸らされる。
というのも「人は最後の瞬間まで、生きる希望に支えられるべきなのです」という先生の信条が背後にあるからだ。
先生のお父さんは牧師であり、91歳の奥さんは教会のサンデースクールの先生であった。
番組では先生の信仰については何一つ言及されることはないのだが、生き方のそれは聖書そのものである。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」
(Tテサロニケ5:16〜18)とあるパウロの生き方に土台している。
感謝祭はもちろんのこと、日野原先生のようにいつも心から「ありがとう」を言える日々でありたいものだ。
そのような愚直とも思える感謝の積み重ねがあって、人生が豊かにされ、人生の最後にも心備えることができるのだから。