石叫■           「牧師が悩むとき」

今月一日の『ラフ新報』の「キリスト教教会連合」提供欄にホイティア教会のパーク・ヒョンロク牧師のものが掲載された。その記事には何とも心が痛む。

日本の神学校で一緒に学び親しくしていた2年後輩の牧師が先週からアメリカに来ている。一時の休息のためだと言う。日本で学んでいた時には若く見え、人柄もとてもよい人だった。卒業する前から「自分は、ここ日本で死にたい」と言っていて、確かな神様からの召命に加え、私にはない元気と意欲が彼にはあった。当時、学んでいた神学校の学長は、「牧師になろうとする日本人は少ない。外国からたくさんの宣教師たちが来るが、なぜほとんどの宣教師たちは大都会にしか行かないのか?」と言っていた。その友人は神学校を卒業する前から、周りが田んぼだらけの千葉の田舎で開拓教会を始めていた。彼の資金だけで600万円、そして留学生には考えることもできない大金を銀行から借りて、田舎に一軒家を購入しキリスト教会を建てたのであった。返済に35年もかかるという金額であった。本当に日本で死ぬつもりなのだと私は思っていた。ところが、今回、彼から思わぬ話を聞いて胸が痛くなった。何回も「もう限界です。とても疲れている」、「何年も牧会をしているけれど実がないので喜びがない」、「十年近く牧会をしているのに家族を含めて毎週7人しか集まっていない」などと言う。最後は「日本で並の生活もできない現在の状況や子供のことを思うと辞めたい」とまで言う。日本での牧会の大変さをあらためて知らされたのだった……日本人でもない彼には言葉や文化などさまざまな問題は多い。何より実のない今は無駄に見えて辛いときである。しかし日本の田舎で牧会をし続け、伝道している彼の働きは、その地の霊的な光りとして輝いているに違いない。なぜなら彼も私たち信仰者も、天に宝を積んでいる者だからだ。今回、友人ご一家に与えられた一時の休息に、もう一度イエス・キリストの真の霊的な光が照らされ、意欲と元気とを取り戻して欲しいと切に願うばかりである。

牧師・宣教師の働きは報われないことが多い。十何年牧会しても一人も救われないというケースもある。現実を見ればどこに希望があろうかという世界である。だが、その彼らを支え続けるのは上からの励ましである。霊的な光である主イエスをしっかりと見据える時に、ネヘミヤ書8章に「主を喜ぶことはあなたがたの力です」(10節)とあるように、内側からの喜びが伝道の力になるからである。その日本在住の牧師にこの上からの力が満ちるようにと切に祈る。