石叫■ 「PTG」
これは医療用語(ポスト・トラウマティク・グロウス)「外傷後成長」の頭文字である。『文芸春秋』五月号
(2011年)巻頭言、立花隆の文中のものだ。
今回の東日本大震災で三十万人以上の人が避難所生活を強いられ、今なお多くの人々が収容されている。実は立花氏は満州引き揚げ者の一人であり、避難所暮らしが報道されるたびに、その時の経験が脳裏をよぎるのだという。終戦当時、彼は北京近郊に居た。そこの日本人はすぐには帰れず、何回にも分けて集団帰国した。45年10月に旧日本軍駐屯地に集められ、そこに四ヶ月半収容されていた。次に向ったのは翌年の二月で150キロ離れた天津の港だった。そこでも三週間、収容所暮らしをし、船待ちをした。という訳で彼の収容所生活が彼の原体験になっているから、避難所生活のニュースを見た時、直感的に「ああ、あの頃とそっくり」と思ったという。子供の頃にこういう不安定な「ディアスポラ生活」(流浪民生活)を原体験してしまうと、どこかに腰を落ち着ける普通の生活がなかなかできなくなってしまう。あの引き揚げ体験は客観的には大変な苦難の体験であったはずなのに、いま思い返すと、みんな楽しかったというといいすぎかも知れないが、なんともいえず面白かった体験として記憶されている。先日TVで阪神淡路大震災のときに小学生で、いま大学生の人たちが集まって思い出を語り合う番組があった。子供のときに体験したあの苦難の日々を「苦難」ととらえている人はほとんどいない。むしろ、いい思い出にしている人が大部分だった。ああ、やっぱりと思った。その座談会に参加していた「識者」が「いやあ、これはすごい。これぞ『ポスト・トラウマティク・グロウス』の典型だ」といった。子供のときに心的外傷を受けると、心理的にその傷からなかなか脱け出せなくなる「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)の話はよく聞くが、そのようなトラウマ経験をした後で、むしろそのような体験をしたその人格形成にプラスに働いて人間的に大きく成長させる「外傷後成長」という現象が最近世界的に注目されている。震災のように突然理由もなく人を襲いむごい大量死をもたらす大災害は、確実にその一つなのである。
聖書は言うではないか、「苦しみにあったことは、わたしに良いことです。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」(詩篇119:71)と。苦しみは神を深く知るためにある。とすれば私たちはこの艱難をも必ず乗り越えられるはずである。苦しみはそれを乗り越えるためにあるのだから。