石叫■ 「東北関東大震災」その@
今回の東北関東大震災はマグニチュード9で、それは近代史上4番目の大きさだという。日本では千年に一度の災害だと言われる。それに伴い津波が発生し、三陸海岸をはじめとして東北には甚大な被害をもたらした。死者行方不明者を含めると一万7千人を越えるという。地震・津波警報に関しては世界で一番進んでいたはずの日本ではあったが、それにしても震源地が本土に近く、津波が三陸海岸に押し寄せるまで11分しかなかったという。つまり老人や体の不自由な人や赤ちゃんの身支度をしている間に津波が迫っていたということであり、そのような中で津波に呑まれた人たちが多かったのではあるまいか。
さて、今回の津波で大きな被害に遭った三陸海岸の町で聞かない名前があった。それは岩手県の田老町である。以前から十メートルにも及ぶ堤防を造って、どんな津波にも耐えられるという自負のあった町であり、それで有名であった。吉村昭の『三陸海岸大津波』から引用してみよう。田老町は明治29年に死者1859名、昭和8年の911名と、二度の津波来襲時にそれぞれ最大の被害を受けた被災地であった。しかし、住民は田老を去らなかった。小さな町ではあるが、環境に恵まれ豊かな生活が約束されているので、風光も美しく、祖先の築いた土地をたとえどのような理由があろうとも、離れることなどできようはずもなかったのだ。町の人々は、結局津波に対してその被害防止のために積極的な姿勢をとった。そして昭和33年に全長1350メートル、高さ最大7.7メートル(海面から10.65メートル)という類をみない大堤防を完成した。この防波堤の存在もあって、チリ津波の折には死者もなく、十勝沖地震の時も家屋の被害もなかったのである。殊に町では避難道路を造り、避難訓練も毎年行なわれていた。そこでインターネットで今回の津波の状況がどうなっているのかを調べてみた。そうしたら田老町は宮古市に編入されていた。海上自衛隊機が津波の状況を映し出していた。信じられないことだが、津波がその頑強な堤防を越え、市街地に怒涛のように流れ入っているではないか!
詩篇46篇に「たとえ地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない…神がその中に居られるので」とある。国が裂けるような状況でも神に信頼せよというのだ。どんなに頑強な堤防でも自然はそれを越えてやって来る。だがそのような中でも私たちを見捨てない神が居る。だから恐れなくても良いのだ。信頼するは神である。怒涛の中でもそんな神を見上げ続けたいものである。