石叫■           「英傑の諸行無常」

 以下は三月一日の『ラフ新報』の「火論」と言うタイトルからの引用である。

 アジア・アフリカ諸国の相次ぐ独立は歴史教科書の奥に眠っているが、今は新たなうねりが起きつつある。今戦う相手は自国の支配者だが、かつての相手は植民地支配の宗主国であった。今ネットが状況を動かすが、かつての独立第一世代には、若くして宗主国などで学んだ知識と差別体験が原動力になった。

 その一人にクワメ・エンクルマがいる。1957年3月、イギリス植民地支配を脱し、いわゆるブラック・アフリカに初めての独立国ガーナを誕生させた指導者である。彼はアメリカ・イギリスに渡って学び、帰国して急進的な独立運動を指導、官憲に逮捕もされた。悪路を行く護送車内で翻弄される苦痛をこう表現した<眼をつぶると自分が昔のガレー船の奴隷の漕ぎ手になった姿が浮かんだ>。比喩ではなく、現実の感覚だっただろう。また彼は強い影響を受けて学んだアメリカで、こんな忘れ難い体験をしている。駐車場の喫茶店で水を一杯頼んだ時だ。白人のウェーターは目をそむけて「表の痰壷の水でも飲め」と言った。エンクルマ青年はしばらくその言葉が信じられなかった。相手を見つめ返し、何も言わずお辞儀を一つして、なるべく威厳ある態度で表へ出た。

皮膚の色が違うだけで一杯の水を断る人間がいることが信じられなかった、と自伝に書いている。アジア・アフリカの独立やアメリカの公民権運動を切り開いた第一世代の闘いは、このような身を刺すような体験から尊厳を勝ち取るためのものだったと言っていい。独立の日、彼は「もう奴隷ではない」と叫んだという。民衆の支持も厚く、神秘的でさえあった。投獄中「牢屋のエンクルマには勝てない。夜には猫になって街に出る」と広く歌われた。世界が注目する一代の英傑だった。ところが、権力は必ず腐るという例にエンクルマも漏れなかった。理想主義的手法は行き詰まり、変質し、独裁になり、汚職が横行した。1966年2月、北京訪問の途次にクーデターが起こり失脚した。ギニアに亡命、再び故国の土を踏むことなく国際政界から忘れられて没する。

パウロは「今あるは主の恵み」(Tコリント15:10)と宣言する。ソロモン王は「主を恐れることは知識のはじめである」(箴言1・七)とも言う。現在あるのは全てが神からの祝福であるから、何か自分の力でそれを得たと考えてはいけないのである。神を恐れることこそが、この世の知恵であり本文である。ああ、権力、富、地位は人を盲目にする。お互いの何と弱く、小さなことよ。