石叫■            「パール・バック」

大河小説『大地』で有名なパール・バック女史が中国伝道の宣教師であった父母の伝記を書いているが、以下は130年も前の本当にあった出来事である。

 長江と黄河をつなぐ大運河のほとりの町に、母のケアリと父のアンドリュウが三人の幼子と共に幽霊屋敷と言われた家に移り住んで半年たった頃だった。彼らの真摯な伝道が功を奏して「善きわざのアメリカ人」と呼ばれるようになった。ところがその夏は未曾有のかんばつで、人々は必死で雨乞いの行事を行い、やがて「外国人が来たから神々が怒って雨を降らせないのだ」と言う噂が広まった。父が地方伝道に出ている八月のある暑い日、その夜十二時を合図に男たちがケアリを襲い、子供たちを殺して神々に供えて雨乞いをしようとしている事が分かった。ワンというお手伝いがそれを知らせてくれた。母は寝室に入り、マタイ福音書6章六節の「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」と言うみ言葉通り、神に祈った。「みこころならば私たちを救って下さい。どんなことがあっても、恐れないように力を与えて下さい…もし死ぬ時が来ましたら、どうぞ子供たちを先に私が逝かせることが出来ますように」と。十二時が近づいた頃、彼女はワンさんを呼び、客を迎える支度を整えた。そして玄関も門も開け放ったのだった。子供たちには着物を着せ、おもちゃを与えて客を待ったのである。やがて刃物を持った男たちが玄関で声を掛けた。でも彼女は「どうぞお入り下さい」と言って、お茶を振舞ったので、男たちは面くらってしまった。そしてオルガンに合わせて中国語の賛美歌を歌い始めたのだった。男たちは顔を見合わせ、もじもじし始めた。やがて一人が「何もねえじゃねえか。女と子供きりだ」と言って帰って行った。ケアリの健気さを、妻子を持つ身として見るに見かねたのであろう。ところが突然、リーダー格の男が三歳のアーサーに手を伸ばした。これは奇跡と言うのだろう、アーサーは怯えず、逆にニッコリと笑って男の人差し指をにぎって握手をしたのだった。その時、彼は言い放った「もうここに用はねえ、俺は帰る」。その日の密室の祈りはやはり答えられたのだった。ケアリは子供を二階や戸棚に隠そうともせず、包丁も身に帯びず、子供と一緒に隣人愛の戦場を戦い抜いたのだった。だがアーサーはこの年の秋、疫痢で急死した。母と共に善戦したこの幼子は誰よりも豊かな命として輝くであろう。