石叫■        「インディアナポリス 」そのA

だが、資料発掘の仕事はOMSの本部だけでは終わらない。もう一箇所、ホーリネス教団に関わるアーカイブがオハイオ州シンシナチの「ガッズ・バイブル・スクール」と言う神学校の図書館にあるという。ここから二時間ほど南東にあるケンタッキー州との州境の大都市だ。スキナー先生は、そこに行く僕のために五、六枚のプリントした地図を用意して下さった。彼曰く、「シンシナチに行くのは簡単だが、ガッズ・バイブル・スクールに行くのは難しい。私はもう六回は行ってるんだが、いつも間違うんだ」と言って、詳しく、そのポイントを差し示して下さったのである。だが、アニハカランヤ僕は行きも、そして帰りも間違えてしまった。幸い地図を頭に叩き込んでいたこともあり、すぐに本来の道に戻ることは出来たのだが、初めての道は何とも不安なものである。

その神学校は二日目に行って来た。マイクロフィルムに入れられた膨大な資料の中からは、北米ホーリネス教団に関する情報を得ることはあまり出来なかった。実はその神学校は日本ホーリネス教団の監督の中田重治が1907年に訪問している。また中田と共に東洋宣教会発足に関わったカウマン先生も夜を徹して日本宣教のために祈った所でもあり、彼らを助けるために日本伝道に最初に献身した女子学生や、彼女に続く献身者たちを生み出した所でもあった。

その神学校の卒業生にレイモンド・シェルホンというチャーチ・オブ・ガッドを創設した人物がいる。カルバリー・クルセードの主幹・福沢満雄先生の所属していた教団である。シンシナチ市街を見下ろす小高い丘に位置するその建物から街を見下ろすと、時代を超えて、何か先達のパッションに触れ、彼らの語りかけを聞くようで、何とも言えぬ敬虔な思いにさせられたものである。

またそこで学ぶたった一人の日本人学生と顔見知りになって、時間を忘れて話し合ったりもした。彼はやがて日本に帰って教会所属の学校で教えたいという。楽しく夢を語る学生であった。それにしてもその神学校のスタッフの実に懇切丁寧な案内に頭が下る思いであったが、それもすべてスキナー先生がアレンジして下さったからであった。彼は外に出る機会の多い人物である。それだけに他者に対する配慮を多く学んだのであろう。さすがOMSのトップである。

パウロはテトスに「神を信じている者たちが、努めて良いわざを励むことを心がけるように」(3:8)と諭しているが、私たちの信仰に大切なのは、良いわざであり、愛の配慮である。人を感動させるのはこの見える信仰なのだから!