石叫■            「日本人の弱さ」

二〇〇九年『文芸春秋』の七月号に「名著講義」宮本常一の「忘れられた日本人」というコーナーがある。お茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦氏が講じたものだが、私はこれを楽しみにして読んでいる。その一部をご紹介しよう。

藤原、「何歳になっても、日本は友人同士で悩みを打ち明けあうことが多い。そこで悩みや怒りを発散することで、自分を楽にしたり他人への攻撃性を緩和している。今でも居酒屋で互いに愚痴を言うサラリーマンの姿を見かけますね。アメリカでは、他人に自分の弱みを見せることは敗北に等しい行為ですからあり得ません。子供の頃から家や学校で「ポジティヴ・シンキング」すなわち強く果敢に生きなさいとたたきこまれる。困った時には自ら論理的に考え解決策を敢然と実行しろと言われる。『あなた、つらいわね、わかるわ……』と手に手を取るような美しい光景は存在しません。私の知人であるアメリカ人女性は、日本に来るたびに日本をほめたたえます。十六歳で名門のスタンフォード大学に入った才媛です。『日本では弱みや弱点を平気で口にできるのがすばらしい』と言っていました。アメリカでは常に強く意地を張って生きねばならず、とても疲れるそうです。『日本人は傷を舐めあって生きている』と馬鹿にしたように言う外国人もいますが、本当に賢い人は日本のよさを理解して、日本に来ると気持ちが癒されると言いますね」。学生、「私はよくくだらないことで悩んで何日も落ち込んだり、友達に愚痴をこぼしてしまうのですが、それを聞いて慰められました。このままでいいのですね」。藤原、「愚痴をこぼせる友達のいることがすでにすばらしい。相手の痛みや悩みが分かる人に育ってください。アメリカには人口当たり日本の六十倍もの精神カウンセラーがいるそうです。一人で強く生きなければいけないストレスは想像以上につらいのです」

 今まで私たちは、自分を卑下するような生き方に甘んじてきたような気がする。否、戦後の占領下、そのような教育を受けてきたからだが、日本文化の持つ弱さという特質にも、日本人の知恵を知って、ホットさせられたのである。

実はこの自分の弱さの交わりこそがお互いの信仰を補完し合うということで、アメリカ・キリスト教会のリーダー達の中では今、盛んにこれが取り入れられているのである。でも、これはパウロ自身が二千年も前に、すでに、これを指摘しているではないか。「自分の弱さ以外には誇ることをすまい」(Uコリント12:5)と。日本が世界に誇る弱さの文化をもっと活用したいものである。