石叫■             「基準値」

今回、クリスマスを目前にしての2週間はまるでジェット・コースターに乗ったような毎日であった。青森から来てくれた妻、節子の妹の陽子が、妻の腎臓とマッチするかどうかの最終確認のための検査が2週間、4回にわたってUCLAで行なわれたのだったが、その結果は惜しいかなノーであった。

妹は移植のために一年以上も前から体調を整え、健康管理を十分にしてきたお陰で、随分とスリムになり、以前ボーダーラインの100であった血糖値も万全であったのだが、血糖値を測るためには普段の数値だけではなく、500CCほどの実に甘いジュースのような液体を飲んで、2時間後に再検査をするという厳しい関門がある。その数値は140以下でないといけない。一回目はかなり高かったので、二回目にチャレンジをしても良いと言われて、一週間後に同じ検査をしたのだったが、それも基準値には達しなかった。そこでダメモトで、3度目にチャレンジをしようと思って担当医に頼んでみたところ、二回目でもクリヤーしなかったら、たとえ移植が成功しても、腎臓を上げた本人の体が却って危険になると言われて、引き下がらざるを得なかった。これまでこの2時間の血糖値検査のことも念頭に入れて準備をしてきたのであったが、その壁は厚かった。この報せのゆえに、しばらくわが家は涙と寡黙状態が続いた。

更にそれに追い討ちを掛けるように、辛いニュースが続いた。妹が適合検査を受けている間に、カイザーで輸血をするためにしばらく入院していた家内も一緒にUCLAに出向いて腎臓の専門医と面会したのであるが、そこの検査室に行くために乗った車椅子を見た担当医師から言下に、「車椅子で来るような体力のない状態なら、手術は到底無理です」と言われてしまった。それで腎臓移植するための医師の承諾を得ることが出来ず、3ヶ月間ホールドさせられてしまった。この3ヶ月間に体力の増していることを示さなければ、またまた延期させられてしまうことになる。当面は、それがわが家の課題となっている。

 命が危険になると言われたら、それ以上踏み込んではいけないのがこの世界のルールである。だがそれを超えられたお方がおられる。主イエスである。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛された」(ヨハネ3・十六)とあるように、主は私たちの命を救うために、自ら進んで十字架の犠牲的になられたのである。そこには人間の基準を遥かに超えた絶大な神の愛が満ち溢れている。その愛だけが痛みの中にある人類の生きる希望であり、私達の心の支えである。