石叫■            「ビルWの友達」

 これはアルコール中毒患者の治療にあたっていたある医師の実録である。

1990年初期のこと、グレースはスチュワーデスであったが、アルコールの問題でしばらく仕事に
戻れないでいた。会社側としては彼女に治療が必要だというので、医師である私の所に送って
きたのだった。8週間の治療が終って仕事に戻ることになったのだが、ある日、長い一日の仕事を
終えて帰ろうとした時、どうしてもアルコールを飲みたいという衝動に駆られてしまった。
その時、彼女は手荷物を引きながらロサンゼルス空港の中を歩いていた。

自分では大丈夫、すぐこの症状は治まると思っていたのだが、いつにないアルコールへの飢え
渇きを覚え、われを忘れて飲もうとしていたのだった。「ビール一杯飲んで辞めさせられても、
その時には、次の仕事を見つければ良いや」とさえ彼女は考えていたのだったが、心の奥では、
やはり飲みたくないという思いも強く働いていた。
しらふでいたかったのだ。でももう彼女はパニック状態に陥っていた。そこで彼女はエアポートに
備え付けのページ電話を手にした。そしてアナウンスしていた、
「誰か、『ビルWの友達』は12番ゲートまで来てください」と。

その「ビルWの友達」という言葉が一体何を意味しているのか、アルコール中毒関係者以外には
知る由もなかったが、それは彼らアル中患者にとっては緊急の助けを必要としている合言葉であった。
ところがどういうことだ。5分もしないうちに、約15人もの人々がグレースのいる12番ゲートに
集まったのだった! その人たちというのは世界各国からの人々であり、二人は飛行機をミスして
までも来てくれたのだった。そして彼女を心から励ましたのだった。

この記事を娘があるウェッブサイトから見つけてくれた時に、「クリスチャンもこのようにすぐ
集まれたら良いのにね」と一言。言い添えたのだった。ああ、そうでありたいものだ! 
否クリスチャンこそ、そうあらねばなるまい! 

 主イエスの昇天の後、初代クリスチャンは、「日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、
家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、神をさんびし」
(使徒 2:46〜47)とあるように毎日集まっていた。

それは信仰によって心を一つにすることが出来たからであり、喜びがあったからだ。
アル中患者が、自分をさて置いても集まることが出来たのは心の一致できる友がいたからであり、
安心して自分をさらけ出せる友がいたからである。

友よ、私たちは本来あるべきクリスチャンの姿を見失ってはいないだろうか?