石叫■           「切り札」そのA

それを聞いたジョゼフ・スチルウェル将軍がマスコミ関係者を集めて、マスダ軍曹の記念叙勲式を行なった。
ヨーロッパでの二世部隊の活躍を知ってもらう絶好のチャンスだと思ったからである。
彼の家の前で彼の姉のメリーに「殊勲十字章」を手渡した。それを彼女は母に渡した。
一世の日本人だったから将軍は手渡せなかったのである。それはアメリカ市民に手渡すものだからである。
そのことも前もって遺族には礼儀を尽くして、母堂に手渡されるようにプログラムを組んでいた。
その後で、サンタアナ・ボウルで式典を行い、将軍が、「アメリカニズムとは、金や肌の色で測れるものではない」と、
スピーチした。その後で、ある映画俳優の若い大尉が壇上に上がった。彼は言った。
「海岸の砂を染める血の色は、みな同じ一つの色である」という名せりふを残した。

それから40年ばかりの月日が流れた。再度、強制収容所に収容された日系人に対する補償をすべきとの声が
起こり、上下両院議会で承認された。だが、なかなかレーガン大統領が良い返事をしなかったので、
カズオ・マスダ軍曹の妹のジェーンが、大統領と親しいニュージャージー州知事を通して大統領に手紙を手渡したのだった。「レーガン大統領、かつて兄のカズオの記念叙勲式で、当時大尉であったあなたこそ、『海岸の砂を染める血の色は、
みな同じ一つの色である』と、言ってたではありませんか!」。
ジェーンはサンタアナ・ボウルでのメッセージを記した当時の新聞の切り抜きを証拠として差し出したのだった。
当時の式典でスピーチした若い将校とは、後のレーガン大統領だったのだ。

それから間もなくして、彼はその正式謝罪文書にサインをした。1988年8月のことだった。再度の補償の申請が
なされてから20年の歳月が流れていた。

ジェーンには“切り札”があった。レーガン大統領が大尉であった時のメッセージの切り抜きであった。
もちろん彼女はそれが後日用いられる時が来るとは、夢にも思ってみなかったに違いない。
全てがくすしい神のみ業である。

聖書にも“切り札”がある。パウロは「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかる
わたしたちには、神の力である」(Tコリント1:18 )と宣言する。
主イエスが十字架についた時、人はこれで全てが終ったと思ったというのだ。
でも、その死から人類の救いの逆転のみ業が始まったではないか。ご自身の死を通して、誰も乗り越えられなかった
人類の罪という死の壁を打ち破った主イエスの十字架の死こそ神の“切り札”であったと言えよう。