石叫■         「テディ・マツモト」その@

今回のものは日本帝国海軍による真珠湾攻撃によって混乱状態になったアメリカ在住の
日系人の中に、どのような波紋が起きたかの一例である。
特に東部在住の人たちは強制収容所に入ることもなかった代わりに、生活それ事態が闘い
だった。ガソリンも食料も売ってもらえなかったという人たちもいたのである。むしろ彼らの
方が苦しんだとも言える。そのニューヨークで1943年の初夏アメリカ人の心意気を示すコラムが
『ニューヨーク・タイムズ』に載った。

「マツモト・テディはニューヨーク州のラーチモントに住んでいる。
昨年の夏にはまだほんの4才に過ぎなかったのだが、でも彼のお母さんのヴィクトリー・
ガーデンという畑でどんなことが起こったかを知るには十分すぎるほどの年齢であった。
彼は小さなシャヴェルを持って、暖かい土に芽生えた小さな野菜の苗床の整地を手伝っていた。
彼は毎朝早く起きて、その野菜がどれだけ大きくなったのかを確認するために畑に行くのだが、
でもその度ごとに食べるにはまだまだ先のことだと知らされてトボトボと帰ってくるのだった。

ところがある朝、テディはガーデンの中にたたずんで動かず、ズーと泣いていた。実はその前日、
何者かが畑に入ってその苗床を踏みつけて根こそぎ引っこ抜き、トマトなどをメチャメチャにして
しまったのだった。

『これはね、私たちが日本人だからなのよ。この国に住んでいるから何かが起こるとは思って
いたけれど、でもまさか、このラーチモントでこうなるとは思ってもみなかったわ』

とお母さんがつぶやいたかと思うと、その目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
ほどなくしてラーチモントの人々はテディ・マツモトのガーデンのことを聞いた。
そして彼らの心には、この事件に対する怒りがこみ上げてきたのだった。  

『これはなんてひどい仕打ちだ。俺たちは何のために戦っているんだ。
これ
をやった奴はちっとも分かちゃいない! 
一体どこのどいつがこんなばかげたことをしたんだい!』

と人々は言った。テディのお父さんは日本の軍隊に対抗してその命まで賭けて戦っている
(宗教関係者は投獄され、特にホーリネス教会の牧師は4人、獄死している)というのに、
何ということだ。そこで人々はお互いに、テディの畑に野菜を植えようとなって、まもなく町の
人々が自分たちの持っている野菜の種や、育ててきた茎を植えに来たのだった。

(続く)