石叫■          「許すとは自分を愛すること」

「リミット」という刑事の現場をテーマにしたドキュメント・シリーズを見た。
それは18年の刑期を終えて出て来る元殺人犯に妻の友世を殺されたことへの復讐心に燃える
梅木というベテラン刑事と、同じ犯人によって今度は自分の妻が殺される危機に直面する
加藤という若い刑事との物語だ。やがて二人は犯人を捕まえる。
ついに梅木は拳銃で犯人を殺そうとするのだが、その最中、加藤が梅木を説く。
それが彼の心を変えた。そこでの二人の会話を紹介しよう。

 「梅木さん、梅木さん、あんたの負けですよ。そのあんたがそいつを殺した時点で、
獣と何も変わらないすよ。あんたがそいつを殺したら、もうあんたは人間じゃなくなってますよ。
いいですよ。やりゃいいじゃないですか。憎しみには憎しみをぶつけるんでしょう。

友世さんに何て報告するんですか。お前が殺されて、生きることに絶望して、刑事なんて
仕事には何の夢も希望も見出せなくなって、日本一の刑事になれなかった。すまなかった。
申し訳なかった。そんなことを言いに行くんですか。あんたは前に言ってましたよね。
人間もうダメだって。そうですよ。人間なんて終わってんですよ。こんな世界とっとと
無くなってしまえばいいんですよ。いいです。お先に亡くなって下さいよ。

でもね、でもね、僕はあきらめませんよ。憎しみじゃなくて、愛を武器に闘ってゆきますよ。
愛の力を信じて生きていきますよ。憎しみってやつと一生闘い続けてやりますよ。

笑いたかったら笑え。バカにしたきゃしろよ。俺はあんたを絶対に見返してやる。
あんた以上の刑事になってやるからな。悔しかったら、俺に本当にできるかどうか、
見届けて下さいよ。死なないで俺を見てて下さいよ」。

この言葉に刑事・梅木は犯人の頭に突きつけていた拳銃を降ろし号泣する。
「友世、友世、生きてあんたを忘れません。生きてあなたを愛し続けます」と。

 この会話を聞きながら、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5・44)という
主イエスの山上の垂訓のみ言葉が心をよぎった。そして見えてきた世界があった。

それは敵である殺人犯を許すことが、結局は自分を生かすことになるのだという事実を! 
私はこれまで相手ばかりを見ていたのだったが、そうではなくて敵を許すことが、誰あろう、
自分が愛されていると知ることだったのだ。

主イエスが十字架の上で自分を殺す者たちを赦せたのは、自分が父なる神からどんなに
愛されているかを知っていたからだったのだ。愛されているから敵をも許せるのだ。

許すことがつまりは自分を愛することに他ならない。