石叫■           「証し千日回峰行」

 先週は二日間の三回にわたり、女医であり伝道師であられる藤井圭子先生の特別集会を
開くことができた。先生はロサンゼルスには二五年ほど前に開かれた日米クリスチャン大会の
婦人大会講師として一度だけ来られているが、私は日本の友人から送られた先生の証しテープを
何度も聴いていたので、今回の出会いは一言で「懐かしい」と思わせるほどの神の恵みの
オンパレードであった。

 彼女は広島大学医学部を終えた直後に尼僧として京都に出家する。
仏教の世界にこそ人類を救い、真理があると信じたからだ。
そこで仏教の神髄を極めるべく日夜勤行に励む。まもなく舎監に抜擢させられるほどに
一生懸命にお勤めをしたのだが、その世界は哲学的・観念的には素晴らしい教えではあっても、
そこには実態がないということを知って愕然とし、小児科医師業に環俗する。

 ところが神は良くしたもので、呉市の彼女の家の隣にキリスト教会が建てられたのである。
当然そこにはお付き合いが始まる。
当初は距離をおいていたのであったが、夫とのことで長い間、葛藤のあった彼女には心に
平安がない。でも、教会の特別集会で語られたメッセージが、「どのようにしたら平安が
得られるか」であった。それこそが彼女の心から求めていたものであった。

その日、彼女はついにキリストを受け入れる決心をする。その翌日、信仰によって与えられる
神の恵みをさっそく経験することになる。夫の看護に出かけようと思って車に乗った途端、
それまで夫の看護は嫌だと思っていた思いが、ふと消えていたことに気が付いたのである。
以来、神から来る平安が彼女の心を占めるようになった。藤井先生はこの救いの恵みをこれまで
日本津々浦々で語って来られたのである。

「もう千回近くも語ってきたと思います」と言われていたが、文字通りここ北米での救いの
証しは、先生の千日回峰行の満行(まんぎょう)の日であったと言っても良いほどの感動の
ひと時であった。

敢えて言えば、私は先生ほど分かりやすく、心に染み入る証しメッセージを聞いたことがない。

 ピリピ書に、
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、
あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、
キリスト・イエスにあって守るであろう」(4:6-7)

とパウロは語るが、これからも藤井先生のメッセージを聞いて、神から来る平安の恵みを
体験される方々が続々と起こされることを心から願って止まない。