石叫■             「天国民」

 司馬遼太郎の『この国のかたちU』に「カッテンディーケ」という人物伝が載っている。
江戸時代のオランダ人であり、日本開国に大きく貢献した人だ。

「幕末においても、諸藩は諸藩の立場をとった。その時期に、幕藩体制を超越した“日本国”
という多分に架空性の高い一点を想定して、志士たちに刺激的な示唆をあたえつづけた唯一の
人物は、幕臣の勝海舟だった。この勝がカッテンディーケの門人だったことを、われわれは
忘れがちである。勝は伝習所の生徒代表で、ときに船長役もつとめた。

カッテンディーケも、この才気と勇気のある小男を見こんでいて、誠実かつ敬愛すべき、
「真の革新派の闘志」とまでの表現を用いている。要するに、カッテンディーケの日本観は、
この国における身分制社会が“国民”の成立をはばんでおり、“国民”が成立しないかぎり、
日本は大国に食われてしまうだろうというひとことに尽きる。

やがて、勝の中に“国民”の成立するような社会を、という強い願望が育ったにちがいない。
そうでなければ、後日、江戸を薩長にあけわたして、いわば主家の葬送役をつとめるような
ことをしなかったであろう。カッテンディーケの回想録をよむと、勝の思想が何だったか
あぶりだされてくるような気がしてならないのである」

 カッテンディーケは、日本に、“国民”が存在しないため、万が一の場合、“国民による
祖国防衛参加方法”というものを実施しようもないことを知っていたし、実施しても封建制
そのものがくずれてしまうことにも気づいていた人物であった。
彼は後年、オランダの海軍・外務大臣も兼務する有能な器であったし、祖国が絶えず
フランスやイギリスに脅かされてきたことを肌身で感じていたので、日本の将来を憂い、
勝にその思い入れを語ったのであろう。
実際、ロシアが対馬に永久施設を造ったり、イギリスを含む四カ国が下関海峡の彦島の
租借を迫るなど様々な危機の中で、勝も“国民”意識なくして国家防備はできないという
カッテンディーケの恩情ある叫びに心から納得していたに違いない。

 パウロは、「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ」(エペソ4:5)だと叫ぶ。
神が備えた神の国の建設のために、私たち一人一人がその住民であることを意識し、
その建国のために心を合わすべきことを忘れてはなるまい。

神の国のいわゆる“天国民”であるという意識こそ、心を世界に開き、文化、人種、時空を
超えてお互いを一つにする神の知恵であり、宣教の力である。それはお互いの違いを認め、
それを尊重し、お互いを誇りとするところから始まる。