石叫■             「合いの手」

7月21日のラフ新報に『ひと』というコーナーがあり、
「苦学生支え27年の『餃子の王将』店長・井上定博さん」という見出しが、
心の琴線を奏でた。

「めし代のない人、お腹いっぱいただで食べさせてあげます」。
店頭にそんな張り紙をして二七年たつ。昼と夜の書き入れ時、食後30分の
皿洗いを約束した学生に、ご飯をてんこ盛りにした定食を振る舞う。
京都大や同志社大に近い出町店(京都市上京区)に来て約十年。
すっかり学生街の名物になった。

20歳で駆け落ちして大阪へ。夫婦で食べてゆくことに苦労した時、
年配の知り合いが鍋料理の食卓に誘ってくれた。ありがたさが身に染みた。
腹をすかせた学生たちが、若い頃の自分と重なって見える。

張り紙には、「苦労している若い人の助けになれば」との親心も入っている。
資格試験の勉強などでアルバイトが出来ず、流し台の前に立つ若者は一日に5人を
越えることも。皿洗いを何回も経験し、「おっちゃんのおかげで受かったで」と
報告に来てくれるのがうれしい。弁護士になった人も3人。
「将来、皿洗いをしてご飯を食べたことを思い出したら、世の中に善いことをしてや」。
そんな思いで、もらった名刺は大切に保管してある。

卒業や就職で京都を離れた若者たちからの手紙をレジ近くの壁に貼ってある。
「店は京都で僕たちの家庭でした」。「店長が1日働かずに済むくらい給料を貯めて
持ってゆきます」。感謝の言葉を読み返すたび、「動けなくなるまで続けなアカンな」
との決意がこみ上げる。

これを読みながら、「君の名は」で有名な菊田一夫の若い頃の出来事を思い返していた。
ある雪の降る日、すき腹をかかえて道を歩いていた。
すると向こうに「牛めし」の屋台が見えてくる。いそいそとそこに座って、
あっという間に一杯たいらげてしまった。ところがお腹がすいていて、
もう一杯食べたいが、何せ金がない…そのことは屋台のおじさんにお見通し、ところが、
そのおじさんから「書生さん、あいにく今日は大雪で、客が少なくて困っていたんだ。
すまねえけど、一杯助けてやってくんねえか」と言われた。
その絶妙な合いの手に、帰りの夜道で、涙が出て、泣けて泣けてしようがなかったという。


 パウロは「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(ローマ12:15)と語る。
おっちゃんも屋台のおじさんも、人生の機微に感じている人たちである。
だから「おっちゃんのおかげ」、あるいは「泣けて泣けてしようがない」と言わせたので
あろう。

そこに絶妙な合いの手に生きる彼らの心意気がある。