石叫■          「賀川豊彦」その二

先週は「神の国」建設を終生訴えた賀川豊彦について話した。それについてもう少し
コメントを続けたい。
以下は福田和也という慶応大学教授の言葉だ。

「自国を愛し、誇りに思うこと、それは決して偏狭なことではない。自分が生きて
いるというこの背後にある蓄積というものをキチンと受け留め、それに共感し、
ある種の苦さを味わいつつ愛情を持つことだ。そういった愛国心に立つならば、
やはり自分たちの過去にたいして真面目で厳しくあらねばならない。それは自分たちの
倫理の基準を高くもつ、という誇りから生まれる態度だ。

しかし、その厳しさは、過去の日本人への柔軟な理解と共感に裏打ちされた尊敬で
なければならない。尊敬しているから厳しくなれる。そういう愛国心であるべきだ。
歴史を通して一貫しているものを自分の中に見出すこと。それは自分を民族とか、
集団の中に埋没させることではない。そこから逆に個人というものが生まれる。
でも自分は日本人だという自覚がなければ、オリジナリティもアイデンティティも
生まれる訳がない。それは実に魂に関わることだ」。

アメリカのように多くの文化背景を持った国の場合、そのアイデンティティは血を流して
勝ち取った自由と独立という意識に尽きる。多くの民族的背景を超えて一つに成るためには
それしかなかったのだ。それだから逆に自分のアイデンティティをしっかりと持つ必要に
迫られるのも、この国の特徴である。

日本人の場合、皆がほぼ同じ価値観や意識を持っているので、国内にいる限り自分の
アイデンティティに対する意識も薄い。でもそれだったら世界に通じない。
だから福田氏は自分なりの歴史観を持てと言われるのである。では一体私個人の歴史観とは
何なのかというと、日本に自国という意識の生まれた時代への愛着心だ。

つまり列強から今にも飲み込まれそうになった時に、一体となって闘った明治維新とそれに
関わる建国精神が私の日本人としての誇りである。

血を流して建国したという意識が愛国心となり、お互いの心を一つにするように、
「神の国」に入れられた今、その建国に関わっているという意識が私の心を燃やす。

パウロはガラテヤ書で、「わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に
誇とするものは、断じてあってはならない」(6:14)と説く。

主の血が信じる者の心を一つにするのである。その主の十字架の血のゆえに建て上げ
られたのが「神の国」である。そこに現在の自分の存在が深く関わっているというのが
「神の国」への愛着心であり、わが誇りである。