石叫■         「教会創立八八周年記念礼拝」

4月26日の聖日、私はロサンゼルス教会の創立88年記念合同礼拝でご用をさせていただいた。実は昨年の創立記念日には溝口俊治先生の娘さんジェイミーさんがメッセージをし、先生が通訳をされたのだが、その様に父娘一緒にご用するのが教会の伝統だという。たった一年でだ! そこで私にも娘と一緒に出るようにと勧められた。以前から家族で主の御用をするのが私の夢であった。今回は娘とだけではあったが、通訳の練習時から万感迫るものがあった。

娘には一週間前に英訳したものを送っておいたのだったが、研修に忙しく、それに十分に目を通すことが出来ずにいた。結局二人で練習ができたのは、CYAという土曜日にオレンジ郡教会で開かれたホーリネス教団諸教会の青年たちの集会後の夜の11時過ぎからであった。二人で眠い目をこすりながら読み比べをしたのだが、娘はある箇所に来るとどうも翻訳が難しいようで、詰まってしまう。二回はできたのだが、でもその頃にはもう体力の限界で、明日の礼拝前にまたやろうということになった。翌日、家内と母をオレンジ郡教会に下ろしてから、車中で一回、そしてロサンゼルス教会で一回リハーサルができた。でも何度練習しても、少し違った表現をすると、詰まるところが出てくる。でも、そこは主にお任せするしかない。それが私たちに出来たベストだった。

私はマントで出た。あの『金色夜叉』の「貫一お宮」でお馴染みの代物である。ロサンゼルス教会の永井祥太郎兄から、「この創立記念日には、昔風の衣装を着けて礼拝に来て下さい」と言われていた。それではというので、その父の形見を着け、鳥打帽をかぶって出たのだった。会場では溝口先生がカイザル髭を着け、何人かの女性たちはネットのついたハットを着けていたが、タイムスリップをしたかの様な情景であった。でも英語部のヤングには、このマントは恐らく「バットマン」にしか見えなかったのではないかと今も危惧している。

そのようにして同行二人、講壇に立った。通訳は全部スムーズには行かなかったが、何とか時間内に終えることができた。そこで私は創立者のパッションについて話した。「きよめ」というのは、パウロがシラスと共に獄中で、「神に祈り、さんびを歌いつづけた」(使徒行伝16・25)とあるように、試練の中でも主が共に居られる喜びのゆえに、心の内側から溢れてくるものなのだと。  

娘との帰途、「また一緒に神様のご用が出来たら良いね」と言ってくれたのには嬉しかった。家族で主のご用が出来るというのは何よりも大きな喜びである。