石叫■            「きよめの信仰」

この四月の最後の聖日は北米ホーリネス教団創立記念日となっていて、教会では一世や二世たちの働きを思い起こす日となっている。この日の説教を準備しながら、88年前の創立時の彼らをつき動かしたものが何かを考え、そして今日の私たちがそれらの何を継承したら良いのかを思い巡らしていた時、それは私たちの教団の看板である「きよめ」の信仰だと再確認させていただいた。

「羅府ホーリネス教会」が始まった時には、すでに11の日系人教会がロサンゼルスにあった。だが七人の創立者たちは、それらの教会では満足できなかったのである。というのは「きよめ」こそが教会を活性化させ、信仰の原動力となり、それを求める熱き祈りが、日系人教会に必要だと信じたからである。

クリスチャンでも罪の根が断ち切られぬところから来る多くの罪を犯すが、それらを悔い改めることによって得られる罪の赦しの確信と、その結果として与えられる聖霊の内住による喜びとが「きよめ」の原点である。伝道は何もガムシャラに動き回ることではなく、心から自ずと溢れる喜びによって為されるものだからである。七人の侍はこの「きよめ」の喜びから来る体験を後世に伝えようとして、1921年ハリウッドにあるホバート街とレモン・グローブ街のコーナーにある東洋宣会の本部であり、カリフォルニア聖書大学もあったその一角のトリニティ教会内に「羅府ホーリネス教会」の看板を掲げたのだった。

主イエスの復活されたその日、弟子たちはエマオの途上で主ご自身に出会う。その時に、「彼らは互に言った、『道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか』」(ルカ24・32)。弟子達は主ご自身の死に打ち勝った永遠の命に触れた時、お互いの心が燃えたのである。それは語らずには居られない炎となって、回りを熱くしていった。 

主が十字架に架けられる直前まで、弟子たちは誰が一番偉いかを論議していたのだが(ルカ22・24)、彼らに聖霊が下ってからは、火の玉のように主を証ししていった。そして今も変わらぬ聖霊の内住経験をする時に、私たちも弟子たちと同じように燃やされるのである。創立の七人の侍たちは、そのような「きよめ」の体験以来、その内側から来る聖霊臨在の喜びのゆえに主を伝えていった。伝道はいつの時代も、自分の内側から溢れ出る喜びがその原動力であった。七人の侍が語り続けたのはそのような熱き「きよめ」だったのであり、それこそ私たちが語り継ぐべきホーリネス教会の伝家の宝刀である。