石叫■           「ルーズベルト秘録」

 産経新聞社発行の『ルーズベルト秘録』(2000年)という大著が発行された。
それには「ハル・ノートの原案はソ連のスパイによって作られた」というサブタイトルが
記載されていたが、これほど興味深く読んだ書もない。

「1995年の夏、ワシントン米議会図書館でのことだ。ロシア語公文書を背にジョン・へインズは、
インタビューを終えて帰ろうとする私(前田徹)に突然、次のように語った。
『ハリー・ホワイトがソ連の指示でハル・ノート原案を作ったことはご存じだろうか。
ルーズベルト大統領は対日戦争を早くから決定しており、ホワイトは導火線の役割をはたした
だけなので、その役割はあまり意味がなかったとは思うが…』。

最初、へインズが言おうとしていることが理解できなかった。ホワイトは戦後、ブレトンウッズ金融
体制を確立し、日本の教科書にも出てくる著名な経済学者だ。そんな人物が日本に対する
最後通牒という忌まわしい記憶とともにあるハル・ノートとどうしても結びつかなかったからだ。
へインズはソ連共産党と米共産党の関係を長年追いかけて歴史家だ。ソ連が消滅した1991年冬から
モスクワを6度も訪れ、ソ連KGB対外諜報責任者の報告を見つけ出し、それによって初めて
「最も知りたい情報は実は米国にある」と思い至っている。1995年、米議会はヘインズの陳情を
受けて、米国家安全保障局の厚い壁に閉ざされたKGB暗号解読文の段階的公開を決議したが、
これがルーズベルト政権内のソ連スパイたちの名前を次々と明らかにしたのである。
へインズが私にハル・ノートにからめて名指しした財務省高官、ホワイトはその一人だった」。

日米戦争は両国間だけの問題だと思っていたのだが、ドイツと戦争を勝ち抜くために先ず日本を
押さえねばならないというソ連の強い思惑があった訳だ。このハル・ノートとは、ハル国務長官が
1941年11月26日に野村・来栖両駐米大使に手交した満州からの完全撤退など十項目にわたる
制裁文書で、日本はそれを最後通牒とみなし、太平洋戦争開戦の口実とした。

パウロは、「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではない…
                   天上にいる悪の霊に対する戦いである」(エペソ6・12)
と、悪の霊との戦いであることを明言している。

つまりこの世の戦いとは、目に見える敵との戦いではない。
だから、その世界をも支配しておられる神への信頼なくして戦いを勝利することは
出来ないのである。

お互い、戦う相手を間違えてはいけない。