石叫■              「士魂」

 昨年12月の『文芸春秋』にお茶の水女子大教授の藤原正彦氏による名著講義が掲載されており、福沢諭吉の『学問のすすめ』が取り上げられていた。彼は1860年に咸臨丸でアメリカに渡った初めての日本人であり、その二年後にはアジア経由でヨーロッパにも行っている。当時の世界は弱肉強食の帝国主義で、欧米諸国によってアジア人が馬車馬のように使役させられていた。その中で日本とタイだけが独立を保っていた。そこで日本が欧米の植民地化を防ぐために富国強兵を考え、文明発展のために『学問のすすめ』を書いたのだった。

その中の一言が僕の心を捕えた。それが「一身独立して一国独立す」という言葉であった。独立した個人とは、ものごとを自分で判断して行動できるということであって、主権国家の担い手となるべき独立した個人があってはじめて独立国家ができあがるという意味である。それによってはじめて国民は自分の国を自分の家と思い、「国のために財を失い命もなげうってよい」と思うようになるというのだ。そして文字通り、ノーベル医学賞を人種差別のゆえに取れず、東大医学部の恩ある人に歯向かった(恩師は脚気の原因は細菌だとしたのに対して北里はB1の欠乏と唱えたことが原因で、北里の方が正しかった)というので、浪人状態となった北里柴三郎を、福沢は資材を投げ打って伝染病研究所を芝に作っている。北里はそこではじめて研究に没頭できたのだった。

そういう福沢は『福翁自伝』において、明治の偉勲、勝海舟、榎本武揚を痛烈に批判している。徳川の幕臣でありながら、明治政府にも仕えたことを武士の操という点から許せなかったのだ。福沢自身、明治政府から何度も出仕を要請されながらも、かつての幕臣としての節操を貫いたからだった。つまり彼は、武士道精神、それから生み出されてきた文化、漢学、儒教という道徳基準が彼をして世界に誇れるものだと確信させたのだった。そこに福沢の士魂がある。

 僕はこの士魂という言葉が好きである。それはもともと聖書にある。ヨハネは第一の手紙において、「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」(3・16)と叫ぶように、主の十字架の愛に感じた者への命令は半端でない。でも主信じる時に、それほどのパッションが一身から溢れるばかりに沸きあがって来るというのだ。「愛は死のように強く」(雅歌八・六)とある。キリストの愛こそ士魂の原点である。