石叫■             「塩狩峠」

北海道塩狩峠で鉄道員の長野政雄氏が殉教して今年でちょうど百年になる。この二月二八日が命日だった。僕はこのストーリーを聞いて一九七三年にクリスチャンになった。彼の神と人のために生きる生き方に感動して、そんな崇高な生き方があるなら、僕もそのようになりたいと思ったからだった。

三浦綾子氏は、この出来事を小説風にして「塩狩峠」を書いたが、「事実は小説よりも奇なり」とあるように、主人公信夫の実際の生涯はもっとダイナミックだったに違いない。事故前日、信夫は名寄での鉄道青年会結成集会のご用があった。その翌朝、旭川行きの列車に乗った。午後は信夫とふじ子との結納式が待っていた。だが塩狩峠に差しかかった時、突然最後部の列車の連結器が外れて後ずさりし始めたのである。信夫は直ちに不安と恐怖に陥っている乗客を落ち着かせ、デッキのハンドブレーキに飛びついたのだが、速度は差ほど落ちなかった。目前に次々と急カーブが待つ。でも今この速度なら、自分の体で列車を止めることが出来ると思った瞬間、彼は自分の身を線路上に躍らせていた。

ふじ子に対して信夫の母は彼の死を次ぎのように語る。

「ふじ子さん、信夫の死は母親として悲しゅうございます。けれどもまた、こんなに嬉しいことはございません。この世の人は、やがて誰も彼も死んで参ります。しかしその多くの死の中で、信夫の死ほど祝福された死は、少ないのではないでしょうか。ふじ子さん、このように信夫の死を導いてくださった神様に、心から感謝をいたしましょうね」。

ふじ子の兄の吉川は、不具で生まれ、長い間闘病し、奇跡的に病気に打ち勝ち、結婚が決まった喜びもつかの間、結納が入る当日に信夫を失ったふじ子を、「何というむごい運命だろう」とは思いながらも、吉川はふじ子が、自分よりずっとほんとうの幸せをつかんだ人間のようにも思ったと、記している。

ヤコブ書に、「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである」(一・二〜三)とあるように、愛する者の死という悲しみのどん底にあっても、そこに希望の光があると聖書は語る。これこそ神のみ業ではなかろうか。惜しむらくは信夫の三一歳のあたら命である。だが己を捨てて神に生きる献身の生涯にこそ、魂を揺さぶる感動があり、人の心を惹き付けて止まない魅力がある。