石叫■            「失敗学」

失敗学は東大の畑中洋太郎教授によって開花した学問である。彼は創造的な設計をするためには多くの失敗とうまく付き合うことが必要だと語る。確かにあらかじめ手本を示してそれをマネさせるようにすれば、上手に出来ても、実際本人はほとんど何も学ばない。その意味で「失敗学」とは積極的な学びである。畑村教授は、そこで社会を発展させた三大事故を取り上げている。

その一つは、ワシントン州のタコマ市にあるつり橋の崩壊事故である。それは1940年に完成した。ところが四ヵ月後、秒速19メートルの横風で崩壊。これはちょうど高いポールの上にはためく旗が風にあおられてハタハタと大きく動く動きと同じで「自励運動」という共振である。その後の研究で明石海峡大橋などのように秒速80メートルに耐えられるものが出来るようになった。

二つめは、世界初のジェット旅客機コメット号である。イギリス政府主導で1952に就航し、47機生産された。ところが就航二年目にフライトの途中で二機が相次いで空中爆発を起こしてしまった。原因は高空での機体の内外の圧力差の見積もりのミスだった。高空では機体に多大な荷重が加わる。そこに金属疲労という当時では未知の要因が起こったのだった。それはちょうど針金を繰り返し曲げると、これを容易に切ることが出来る原理と同じだという。

三つめは、第二次大戦中アメリカはリバティ船と呼ばれる1万トン程度の輸送船を4700隻製造した。それが1942年頃から船体が何らかの形で破壊され、その数は1200隻にも及んだ。これは低温になった時、金属がもろくなって溶接部分が亀裂を起こした事が原因であった。船は鉄で出来ていると言っても、鉄と炭素の合金である鋼(はがね)で造られている。外部からの圧力で金属は伸縮し、その力を逃し、強度を保ってきたのだが、0℃で伸縮度を完全に失う。そこで鋼に大きな力が加わると、ポッキリ折れるというのである。

 これらの事故では多くの尊い人命や、多大な研究を重ねて造った建造物が失なわれた。でも、その後の執拗な事故原因究明によって、再びそのような事故が起こらないような貴重な教訓をもたらしたのだった。箴言に、「正しいものは七たび倒れても、また起きあがる」(24・16)とあるが、神を信じる人生であってもつまずき倒れることはよくある。だから倒れても良い。失敗しても良い。だが、そこから何も学ばずに、ただで立ち上がってはいけないというのだ。大切なのは失敗を肥やしとして、そこから何を吸収するかである。それが失敗学の本来の学びである。