石叫■            「ほんもの」

あるクリスマスのこと、ひとりの坊やが多くのプレゼントをもらいました。それらに交じって一匹のビロードの兎の縫いぐるみがありましたが、おもちゃの入った戸棚の中で兎は、肩身の狭い思いをします。というのは、他のおもちゃたちは、自分たちが「ほんもの」のような顔をして、時代おくれの兎を見下していたからです。その中で親切だったのは古びた木馬だけでした。鞍の部分は裂け、たてがみも尻尾も抜けて少なくなっていましたが、彼は戸棚の一部始終をみてきた賢い存在でした。「ほんものって、お腹の中にねじを巻くハンドルが付いていること?」とある日、兎が木馬に尋ねました。「ほんものっていうのは何でできているかじゃないんだよ。ほんものはいつか{なる}ものなのさ。子どもがあんたをほんとうに愛してくれる時、ほんものになるのさ」。「{なる}って、ねじがかかったときにみたいに急になるの?」「すぐじゃなく、長いことかかるのさ。だから言葉にとげがあったり、すぐ腹を立てる者には不可能なことなのさ。そして、ようやくほんものになった時には毛が抜け落ち、身体の節々はゆるんでしまっているんだ。でもほんものになると、それが気にならなくなるんだ。なぜなら、ほんものになったら、決して醜いということはあり得ないんだ」。「木馬さんはほんものになったの?」「ウン、坊やのおじさんが昔ほんものにしてくれた。一度ほんものになったら、生涯ほんものでいられるんだよ」。

ある晩のこと、ベッドに入る時に抱く犬のおもちゃが見つかりません。乳母のナナは戸棚にあったビロードの兎をつかんで坊やに与え、「さあ、これでがまんしなさい」と言いました。それからというもの、兎は坊やにとってなくてはならないものになりました。どこへ行くにも一緒です。夜は夜でしっかりと抱かれ、とても幸せでした。春になったある晩、兎のぬいぐるみを庭に置き去りにしてベッドにはいった坊やはナナに、どうしても兎がなければ寝ないと言い張ります。「うさぎはただのおもちゃじゃないの…」不機嫌な乳母に坊やは言いました、「あの兎はおもちゃじゃなくて、ほんものなんだ」。これを聞いた兎は幸せでした。これはM・ウイリアムズの『ビロードの兎』という童話です。

ルカ福音書で異邦人の百卒長は十字架で死んでいったイエスを見て神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」(23:47)と言ってイエスこそ偽りのないお方だと叫んでいる。主イエスは十字架でほんものになったのだ。十字架を通して、ご自分の言動がほんとうであることを証ししたのだった。