石叫■            「全人類の救い」

 2008年『文芸春秋』季刊誌に、二万人のユダヤ難民を救った陸軍中将・樋口季一郎という人物の記事が載っていた。杉浦千畝領事のユダヤ人救済の話は有名であるが、彼のものより二年前のことであった。以下その概要である。

満州の国境を挟んでソ連領オトポールという人口数百の町がある。極寒のその地に二万のユダヤ難民がテントを張って立ち往生していた。その情報を得たのがハルピン特務機関の少将樋口であった。昭和十三年三月八日のことである。ナチの弾圧を恐れた彼らはポーランドからソ連に入ったが、シベリヤの不毛の地での生活をあきらめ、満州国を経由して上海への脱出を考え、オトポールに辿り着いたのだった。ところが満州国はピタリと門戸を閉じた。日独伊防共協定が成立し、日本の世論がドイツに傾いていたからだった。ポーランドやドイツ駐在の経験があり、ユダヤ人の悲惨なありさまを見聞していた樋口は、短時間の熟慮の後で決意する。軍を追われても、人間としてこれを見過ごすわけにはいかない。そこで樋口は、「満州国は独立国であり、誰にも気兼ねをすることはない。一刻も早く決心されたい」とせまる。満州国は快諾した。情報を得てから四日後のことであった。ユダヤ人全員がハルピン駅に迎えられた。だがドイツ政府よりすかさずクレームが入る。関東軍参謀長・東条英機は樋口に出頭を命じるが、彼は高圧的な詰問にたいしても一歩も引かない。「参謀長はどう考えられますか。ヒットラーのお先棒を担いでの弱い者いじめを、正しいと思いますか」と。東条は問題なしとして陸軍に返答を約束した。更にはポツダム宣言を受諾して尚も進軍してくるソ連軍を占守島で断固反撃するように命じ、多大な損害を与えて撃退し、停戦命令を出した。終戦後、ソ連が樋口を「戦犯」に指名し、身柄の引渡しを要求してきた時に、彼を助けたのがユダヤ協会であり、彼らの訴えでマッカーサーが引き渡しを拒否したのだった。「偉大なる人道主義者・ゼネラル樋口」という碑がエルサレムの丘に刻まれているという。

 今から3400年も前、エジプトの荒れ野で立ち往生し、進退窮まったユダヤ人を海の道を開いて解放したのがモーセであった。そして今から2000年前、行く先を知らず、罪にまみれた私たちのために、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ十四・六)と言って、誰も開くことの出来なかった

罪と言う国境を越え、十字架による救いの道を切り拓いて下さったのが主イエス・キリストであった。その解放への道は今も信じるあなたに開かれている。