石叫■ 「試みにあっても」
先週(12月3日付け)のラフ新報フロント・ページに「開戦5年前から検討」とあり、その副題に「日系人収容・ルーズベルト大統領覚書で判明」という見出しの文面があった。これは実にショックな報道であった。
「1941年12月8日の日米開戦に先立つ五年前の1936年、フランクリン・ルーズベルト米大統領が対日有事を想定し、ハワイの日系人を強制収容に収監する計画を検討していたことが二日までに、ニュ―ヨーク州ハイドパークの同大統領図書館に保管されていた極秘の覚書から分かった。日系人強制収容は、日本海軍機動部隊によるハワイ・オアフ島パールハーバー奇襲攻撃に衝撃を受けたルーズベルト大統領政権が{戦争ヒステリー}という異常な心理状態で、軍主導で急きょ実施したとするのが通説だが、同大統領は極めて早い段階で対日戦争を意識し、日系人隔離を自ら構想していたことが判明した。覚書は海軍作戦部長にあてられたもので、1936年8月10日付け。関西学院大学非常勤講師の藤岡由佳氏(日米政治史)が入手した。この中で、ルーズベルト大統領はハワイにおける日本側の秘密情報活動への危機感を背景に『わたしに明確な考えが浮かんだ。日本船舶・乗組員に接触するオアフ島の日系人の身元を極秘に洗い出し、有事に際して強制収容所に最初に送り込む特別リストに氏名を記載しておくべきだ』と提案している。日系人収容は大統領自身の主導のようである」。
ルーズベルトは大統領選挙で、決して自分は戦争をしないと公約した。にも拘らず、ハル・ノート(満州・南印から撤退・日独伊同盟破棄)を通して日本をがんじがらめにし、暴発するように仕向けていた辺りは実に巧妙である。「窮鼠猫を噛む」という格言があるが、日米はまさにそのような状態であった。先々週、福音学校で日系史を講じた直後だけに、強制収容が5年も前から大統領の心に秘められていたとは、実に晴天の霹靂である。
聖書に、「彼がわたしを試みられるとき、わたしは金のように出てくるであろう」(ヨブ23:10)というヨブの言葉がある。日系人強制収容は確かに歴史の哀しい一コマではあるが、それを出エジプトであり、やがては祝福に繋がってゆくと訴えたのは強制収容を前に訴えた日系人牧師達であり、それを証ししたのが二世部隊であった。試みをも逆手に取るというのが神のみ業であり、試みを乗り越えてゆくところに力強く輝く信仰がある。