「石叫」■           「樹氷」

この感謝際の翌日、またマウント・ボールディに行ってしまった。今回はNさんという、教会員の一人を通して知った山のベテランと一緒であった。彼は、すでにマウント・ボールディには百三十二回も登っているというつわものである。僕はこれまでそんな山好きな人に会ったことがない。そのように紹介されて以来、「近々、一緒にボールディに行きましょう」と約束していたのである。

 その日は朝の六時過ぎに教会を出発した。どんよりと曇った日ではあったが、Nさんは、「こんな日の雲はずいぶんと下に降りてきていますので、雲の上は快晴です」と言われた。毎週、出かけている方なので、雲の状況で、山の具合も手に取るように分かるのであろう。案の定、小一時間ほどして山に着いた頃には雲海が下に見えていて、山頂は初冠雪が陽光でまぶしく輝いていた。

僕はこのマウント・ボールディは今年の八月にも登っているが、それ以来、日ごろ歩いてはいても登山に備えるような運動はしていなかった。そんな具合なので、彼とは同年齢でも、毎週通っているNさんの体力には到底かなわない。彼は僕の倍のスピードで登ってゆく。彼は普段だと二時間ほどで山頂までは行けるのだが、僕の歩調に合わせてくれたので、倍の四時間もかかってしまった。しかも先週末から降った初雪で中腹辺りからトレールに雪が多くなり、それが滑って実に歩きにくい。それに次第に風も強くなり、寒さも増してくる。でもNさんの絶えざる励ましでやっとこさ山頂までたどり着いたのは良いのだが、どっこい山頂付近はものすごい風で雪煙が上がっている。帽子やサングラスを飛ばされたり、時には僕ら自身が吹き飛ばされそうになるほど強い風であった。 

Nさんは、「僕には、こんな強い風はあまり記憶にありません」と言っていたが、そのような状況であればこそ見えたものがあった。樹氷である。まさか南加でそれを見ようとは思わなかった。もっともこの山頂は三千メートルを越えるので、冬季にはありうることだが、それらの樹氷は厳しい寒さと激しい雪煙の中に立つ木々を飾る美しい冠のように、毅然とした美しさにあふれていた。

ペテロは迫害の中にもめげないで証ししてきたクリスチャンに対して、「あなたがたは…輝きに満ちた喜びにあふれている」(Tペテロ1:8)と語るが、迫害や困難の中にもめげずに主を証ししてきたからこそ、美しく光り輝くのである。樹氷は雪煙の飛び交う中でしか生まれない。信仰も一歩一歩たゆまず確実に、多くの困難を乗り越えて進む時、確実にその輝きを増してゆく。