石叫■ 「健全な教会」
先々週の週末の金曜日と土曜日の二回にわたって北米聖書神学院が開講され、溝口俊治牧師の「皆ですると楽しい牧会」というタイトルのクラスがもたれた。そのテーマたるや、「教会が健全に成長していることは、どれだけキリスト者が全員で牧会しているかどうかに表れる。ティームを組み、皆で取り組む牧会の姿を学ぶ」とある。溝口牧師はこのテーマに長年、取り組んで来られたわけだ。
特にその中でも心に響いたコメントは「執事会は決定機関ではなく、御心を発見する群れ」であった。とかく執事会は時間を掛けずに手短かに取り決めるというのが通例だったからであり、霊的な課題は牧師に一任するというのが従来の典型的な執事会の在り方だったからである。でも、本来そうあってはいけないのだ。執事は牧師と共に霊的なリーダーであり、牧会者の気持ちになって教会を導く人々の群れなのだということを改めて心に留めさせていただいた。
この二日間のクラスに参加した人々の中には終始涙していた人もいた。自分の教会にはない牧会のあり方に終始感動しっぱなしだったからである。僕も初めから終わりまで、全身を耳にして聞いていた。その一部の引用である。
「教会の健全な流れは、皆が牧師と共に、今、教会に神がどのような事を望んでおられるかを敏感に受け止める時に出てきます。一面的に、牧師の言うことを受け入れるからではなく、牧師と共に神の前に出て、御心を聞き、それに責任と信仰をもってお応えするのです。その時、神が人の中に働いてくださって人々の能力を最大限に引き出し、また共に信仰を合わせることによって、神がお働きになりやすい群れとなるのです。そして人々は自分の事よりも、神の栄光が表れる事を願うようになるでしょう。また一人ひとりが共に生きる事を喜び、関係が健全に育っていくのです」。
一人で苦悶するイスラエルのリーダー、モーセに対し、舅エテロが忠告する。「あなたも、あなたと一緒にいる民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない」(出エジプト一八・一八)とある。神の栄えのために労する協同体として教会が神のみ業を遂行してゆくためには、ティームでしなければ決して建て上げてゆくことが出来ない。特に教会は牧師と共に執事が霊的に整えられ、それぞれに与えられた信仰が生かされ、心と思いとを一つにする時に、教会は健全に成長してゆく。今回のクラスのDVDは執事のみならず、オレンジ郡教会員全員にとって必見である。