石叫■          「クリスチャンの品格」

この十月八日の羅府新報の『女の気持ち』コーナーに「意識と品格」というテーマのコラムが載った。いつもは素通りしているのだが、今回のものは心にドンと来た。なぜって、数週間前もトーレンスで日本からのゲストが「女性の品格」についての講演会があり、出席したある友人の一人が、「彼女の話は、皆な聖書が言っていることばかりでした」という言葉を思い出していたのだが、いったいでは、クリスチャンの品格とは何かを考えさせられたからである。

買い物にいらしたお客様が、お釣りをお待ちの際に携帯電話を取り出されたので、「メールですか?」とお聞きしたところ、「お父さんに電話。1本しておけば機嫌がいいの」とほほ笑みながらおっしゃいました。「もうお昼召し上がった? まだでしょう? スーパーで何か買って帰ります」と言って切られました。私が「ご主人に敬語なんてすてきですね」と申し上げると「普通よ。何でおっしゃるの?」と聞かれたので、「そうですねえ。私たちの年代で配偶者を尊敬している夫婦はあまりいませんねえ。平等ですねえ」と申しあげました。お客様は母と同世代です。父はかなりの亭主関白で威張っていましたが、母が父に敬語を使っていた記憶はありません。世代の問題ではなく、意識と品格の違いだなあ、と思いました。テレビで若い女性タレントが「マジ、キモい(?)、スゲエ、ヤバい」などと話しているのを聞いていると不愉快になってきます。下品極まりないのです。将来どうなっちゃうのかな、と心配になります。三〇歳、四〇歳になると、新しいことがなかなか覚えられません。若いうちに敬語を身に着けておくべきだと思います。前述のお客様は、上品だから敬語が当たり前なのか、敬語を見事に操っているから上品なのかはわかりませんが、とても可愛いらしい上品さをお持ちです。あこがれのおばあちゃまです。

聖書のもっとも大切な教えは、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)である。私たちは何をするにも先ず神との関わりを第一にせよと言うのである。それが確立されて初めて人との関わりがスムーズに為されてゆく。つまり神を信じる信仰が、私たちの品格を左右すると言えよう。聖書も読まず、祈りもそっちのけというと様な生活の中では良い品格がうまれそうにもない。逆に、神を第一にし、賛美と真心を持って接する時に、自ずと品格も形成されようというものである。外側を飾ろうとするのではなく、私たちの内側を神の前に正すところから全てが始まる。