石叫■        「サン・ゴルゴーニョ山行」 そのB

 さて、ガラガラ蛇との遭遇は一大ハプニングであったが、それに劣らぬもう一つのハプニングがあった。それは道に迷ったことであった。
サン・ゴルゴーニョ山の南登山口は山頂まで往復二八キロある。その途中に二つのキャンプ場がある。その最初がハーフ・ウェイ・キャンプと呼ばれるものだ。
その直前でのことだった。クリークに沿って続いていた道が突然なくなったのである。
そこからは急な崖にぶつかるか、あるいはうっそうと潅木の茂ったクリークに入ってゆくしかない所なのだ。そこで何度も崖に上ったり、沢の中に入ったりしたのだが、
いっこうに道らしきものがない。そこで小一時間はつぶしてしまった。もちろん地図を広げるのだが、磁石や地図はあっても目標物がないと役には立たない。

結局はあきらめるしかなかった。二回目のチャレンジも、もうこれまでかと思うと、帰るのが忍びなかったのだが、道なき道を進むわけにも行かぬ。
だがしばらく道を戻ると、クリークを渡る道が見える。ああ、これだったのかと思って渡ったのだが、それもまた対岸には道がない。
やはりだめだったのかと思い、また少し道を戻ると、そこには今度は明らかに対岸に渡る道があるではないか。それが本道であった。
その分岐点に立って、どうして道を迷ったのかをじっくりと見てみた。そこには方向サインがない。
クリークに沿った道はまっすぐに続いてはいるが、本道は横道に反れている。だから少なからぬ人々がまっすぐな道を選んだ訳だ。
というのもそれが立派な道になっているのだから……。
却って迷い道のほうが本道に見える。そこで本道を少し進むと、ハーフ・ウェイ・キャンプ場のサイン・ポストが見えたが、その時はもう一時を過ぎており、
それまで四時間近くも歩いてきたことになる。そこから頂上までは更に四時間の登りだ。もう時間的に行けそうにもない。
結局次ぎのスカイハイ・キャンプ場まで行って引き返すことになった。

無念のリタイアーだった。

箴言に「人が見て自ら正しいとする道でも、その終わりはついに死に致る道となるものがある」(14・12)とある。
脇道にそれたように見える道が実は本道だったのだ。今、考えてみると、どうしてすぐに戻って道を探さなかったのかと悔やまれる。
そうしたら時間もロスしないで頂上に行けたのかも知れなかった。迷い道こそ立派に見える。だが、それに入ってしまうと、もう行き止まりでしかない。

人生の本道も見間違いやすいものだ。自分の判断ほど頼りないものはないし、見える世界ほど惑わされ易いものはないのだから。