石叫■        「サン・ゴルゴーニョ山行」 その@

もうじき今年のわが家の夏季休暇が終わる。今回は僕の二十数年の牧会の中で初めてヨセミテに行かなかった。
家内の体調が心配だったからだが、それだけに山に行きたくてウズウズしていたのである。
そこでこの二八日、サンバーナディーノ山系のサン・ゴルゴーニョ山という南加では一番高い山(3504メートル)に登ろうと思い立った。
その高さは富士山(3776メートル)とあまり変わらない。
数年前、北側ルートをトライしているが、往復34キロもあり、とても一日コースで行ける所ではなかったので、中途で断念しなければ
ならなかったのである。だから、いつかまたチャレンジをしようと思っていた。

ところが今回、キャンプサイト一泊の登録が出来ず、日帰りでしか行けなくなってしまった。一日では無理とは思っていたのだが、
幸いにも南側に往復28キロコースがあるので、あわよくば山頂へと思ったのだが、何せ途中で道に迷い、一時間以上もの時間をロスしてしまった。
それでも帰り道で本来のトレールを見つけ、再度気合を入れて山頂に挑んだのだが、日没の七時まで帰るためには、どうしても三時までには
山頂に着いていないといけない。水場のあるスカイハイ・キャンプ場で喉をうるおし、時計を見たところ、もう午後の二時半だ。
ところが山頂ははるか彼方にある。それまで五時間近くも歩き続けてきているのだが、そこから山頂までは更に五キロの登りだ。
その距離は僕には二時間はかかるので、とても日没までには帰れないと思い、またもや中途で断念しなければならなかった。
たとえ暗くなっても一本道だし、ヘッドライドを携帯しているので、無理をすれば行けないこともなかったが、それは無謀というものであった。
普段、山登りしていない者にとって、幾らサイプレス大学のグランドで歩いたり、走ったり、20パウンド近い荷物を背負って荷重の練習をしていても、
実地での疲労度はまったく違うのである。山頂に行けないと思った途端に、急に疲れが出てきて四時間の降りが、何十時間にも感じる程だった。

ローマ書でパウロは、「すべて彼を信じる者は、失望に終わることがない」(10・11)と語る。
彼ほど信仰の激しい戦いをし、失望させられた者はいない。

そんな彼が見上げたお方は主イエスだった。その主が絶えず彼に伝道への希望という励ましを与えて下さっていたのだ。
失意の中にこそ主は私たちに絶えず希望の光をもたらすのである。

今この原稿を書きながらも再再度チャレンジしたいと思っているのは、果たして主からの希望の光か、それとも自分の思いか。