石叫■          「現代版放蕩息子」

「測り知れないキリストの富」(ジェリー・ブルッジズ著)の中に、以下のような現代版放蕩息子の例話が記されていた。ご紹介しよう。

ジャスティンは十六歳の誕生日に運転免許を手にした。だが、それから間もなくしてスピード違反でチケットをもらってしまう。
さらにはその時の反抗的な彼の態度に両親から、「家の車の運転は一切許可しない」と言われてしまった。彼は意固地になって、
「ここから出てゆく。親友のトニーと一緒に暮らすつもりさ。あいつの親は、あんたたちのように時代遅れの堅物じゃないし、
したい放題にさせてくれる。僕だって人生を楽しまなくちゃ」と言って出て行ってしまったのだった。

ところがジャスティンはトニーの家で思いもよらない目に遭った。トニーは二人の弟といつも喧嘩していたし、親たちは絶えず子供たちや
夫婦間でもどなりあい、父親はよく酒に酔っていた。ジャスティンは震え上がってしまった。これまで一度もののしられたことがなかったからだ。
トニーの母親は食事を作ってくれたことが無かった。出来合いのものを買ってくるだけだった。
ジャスティンの母親のように「野菜を食べなさい」などという指示などは全くないのだ。彼はいつも当たり前と思っていたママの美味しい手料理が
懐かしくなってきた。やがて彼は冷静さを取り戻した。
トニーが手にしていた自由は、両親の愛のしるしではなく、むしろ彼らの無関心の表れであったことが分かり始めたのだった。

逆にジャスティンの両親が、自分の反抗的態度を赦さなかったのは自分への愛の表れだと判ったのだった。彼は帰る決心をした。そして両親に言った、
「この二年間、悪態をついてごめんなさい。僕は本当に世間知らずだった。でも、やっと気がついたんだ。僕の反抗をやめさせようとしたのは、
パパやママが古臭かったのじゃなく、僕を愛してくれていたからなんだということを。僕を赦して、家に帰らせてくれますか」。
彼の両親は駆け寄って彼を抱きしめた。そのようにしてジャスティンは両親と和解したのだった。

放蕩息子(ルカ15章)は「本心に立ちかえって……わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました」と言って父の家に帰ったのだが、
ジャスティンも当初は彼の家がどれほど祝福に満ちた所かを知らなかった。この例のように、本来あるべき所は決して快適でも、自由でないかも知れない。
でも、それが実は本人を支えてきた神の愛なのである。

今、置かれた所で神の愛がいかに祝福に満ちているかを、お互いに見つめ直したいものである。