石叫■         「イエスを家に招くなら」

  今年の「百万人の福音」五月号に「イエスを家に招くなら」という主イエスにどこまで委ねるかを問う記事が載った。
信仰の在り方を問うものだ。

ある時、ひとりの男がイエスを自分の家にお招きして、一緒に暮らしはじめた。
彼は二階にある一番上等な部屋にイエスを案内した。「主よ、この部屋はあなたのものです。ご自由になさってください!」。
その晩、男が床につこうとすると、玄関の扉を激しく叩く音がした。そこには三匹の悪霊が男を襲おうとしていた。
格闘の末にようやく悪霊どもを追い払った彼は、玄関を固くしめ、ぐったりして寝室に戻った。
「こんなことがあっていいのか。この家にはイエスさまがいて、二階の部屋で寝ておられるというのに、階下で悪霊と格闘だなんて。
イエスさまには、きっと騒ぎが聞こえなかったのだろう」。

次の晩、また玄関で激しい物音がした。
そこにはなんと十二匹もの悪霊がいて、彼の家に入ろうとしていた。大格闘のすえ、やっとのことで追い払ったが、頭は混乱した。
「なぜイエスさまは助けに来てくれないのだ」。絶望的な思いで男はソファに倒れこんだ。翌朝、主に尋ねることにした。
「この二晩、わたしは玄関で悪霊たちと一人で戦っていたのに、あなたはこの部屋でお休みになっておられました。
私のことなどどうでもいいのですか?」。

「わが子よ」イエスは優しく答えた。「わたしはおまえを愛しているし、おまえの面倒をみたいと思っている。
しかし、この家に招いてくれた時、おまえはわたしをこの美しい部屋に案内し、扉を閉じてしまった。
わたしはこの部屋の主にはなったが、この家の主ではないのだ」。「どうかお赦し下さい。家全体をお任せします」。
夜が更けると、玄関の音が再び激しく叩かれた。男が起き上がって廊下に出ると、イエスが階段を降りてゆく姿が見えた。
悪霊たちは戸口で、中に入れろと叫んでいた。しかしイエスが、「悪霊たちよ、何が欲しいのか」と一言言われると、
彼らはひれ伏し、「申し訳ございません。家を間違えたようです」とだけ言い残して逃げ去った。

「あなたはわたしの家を治めてください」(創世記四一・四〇)とエジプトの王パロはヨセフに嘆願している。
ヨセフに神のみわざを見たからであった。

私たちの全ての行動において必要な事は、イエスが主であって、すべての点において治めていただくという信仰なのだ。
それが主をお迎えするという事である。そこに条件はない。だが、そこに神を信じる者の平安がある。