石叫■            「九官鳥」

 先週の月曜日は黒田禎一郎先生がオレンジ郡教会でみ言葉のお取り次ぎをして下さった。
二年前にもお越し下さって、東欧の現状を報告して下さったが、今の世界の情勢が聖書とどのように関連しているのか、
とても明確に説得力ある口調でお話し下さり感動したものである。今回はコロサイ書三章十七節の、
「あなたのすることはすべて、言葉によるとわざとによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、
彼によって父なる神に感謝しなさい」からお話し下さった。実に含蓄のあるメッセージであった

そのイントロで、先生は九官鳥のお話をして下さった。この鳥の声は一番人間に近いのだという。
だから昔から愛玩動物として、多くの人々に愛されてきた。
ところで、それをもし私たち教会関係者の家で飼うとしたら、九官鳥は一体、何という言葉を覚えるだろうか。
この鳥は飼い主の頻繁に使っている言葉を覚えるのだから、それが「ハレルヤ」、「アーメン」なら嬉しいが、そうではなく、
私たちの多くは恐らく、赤面せざるを得ないような言葉を聞かされるのではあるまいか。
そうであるなら、とてもそれは祝福にはならないもし、もし、人を傷つけるような言葉を覚えてしまったら、
もう使いものにはならないのである。でも、それは九官鳥のせいではない。飼う側の問題である。
犠牲者はいつも弱い立場にあるものたちである。

 黒田先生は、だから私たちが普段、何を考え、何を言うかが大切だという。
例えばダビデは、部下たちが戦場で命を賭けて戦っているさなか、夕方に寝床から起きた(サムエル下11・2)。
それは心の緩みである。それが結局は姦淫のみならず、殺人行為にまで及んだのであった。
でも彼が信仰を持ち続けたのは、神の一方的な恵みによる。
そのダビデと同じように心の緩みやすい私たちであればこそ、神の前に自らを正すことが何よりも肝要である。

 「わたしの口の言葉と、心の思いが、あなたの前に喜ばれますように」(詩篇19・14)と言うみ言葉があるが、
それは、神を信じる私たちの日々の心の叫びであるべきだ。つまり主なる神は私たちの一挙手一投足を見ておられるのである。
だから私たちは神に見られているように、主に喜ばれるように言動を慎まなければならない。

さあ、あなたの家に九官鳥を飼ったつもりで、しばらく生活してみてはいかがであろう。
この鳥はあなたの心から出る言葉をそのまま口にする。あなたの心を反映する。

ごまかしは効かない。