石叫■            「写教聖書」

 この六月一日から聖書の写教を聖書日課の一つに加えたいと思う。
写教は昨年まで聖書日課で折々にやってきたが、さらに聖書に日ごとに親しんで欲しいとの願いから導かれたものである。
そこで、まずピリピ書から始めたい。

 今年の「百万人の福音」三月号に掲載されていた記事であるが、中国黄土高原に住むクリスチャンの聖書にたいする姿勢を紹介したものがある。

そこに住む「家の教会」のクリスチャンのみことばに対する姿勢は、日本では考えられないほど真剣です。
「もし、中国にみことばがなければ、中国は死ぬのです」といった伝道者がいるほどです。ある伝道者訓練会でのこと。
ほら穴で行われたその訓練会は定員が五十人でした。ところが、みことばに飢え渇いて応募したのは三百人を超えたのです。
やむなく試験が行われました。ピリピ人への手紙を全部暗記するというものでした。ことばの言い違いが十ヵ所以内を合格としました。
結果はどうだったでしょう。完全に暗記していた人が六十人もいたのです。しかもそのほとんどが、小学校で学んだだけの農村の人でした。

しかし、わたしをもっと驚かせたのは、ある女性伝道者が言ったことばでした。「クリスチャンにとって、みことばを学ぶことは大切です。
けれど、もっと大切なことばみことばを蓄えることです。しかし、それよりもっと大切なことは、みことばに生きることなのです」。

 この中国人と同じようにピリピ書を暗記せよという課題が私たちになされたとしたら、どれだけの人がパスするだろうか・・・。
その真剣さに私は顔を上げることが出来ないほどだ。そのような彼らには及ぶべくもないが、せめて私たちに出来ることをさせてもらおうではないか。
それが写教である。今回はピリピ書であるが、これを全部写教するとなると四十日ほど日数がかかる。

 パウロはコロサイ三・一六で「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互いに教えまた訓戒し、
詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい」と命じている。
聖書のみ言葉は暗記するだけではなく、それをあなたの日々の生活の中で実践せよという意味なのだ。
それでなかったら、私たちの信仰は何の意味もないものになってしまう。私たちの拠って立つお言葉信仰とは、それに生きることなのだから! 
この写教聖書が、あなたの信仰生活をさらに豊かに実りあるものとし、感謝と賛美に溢れた日々となることを心から願うものである。