石叫■ 「祈りについてのことば」
『百万人の福音』の一月号に、「祈りについてのことば」というコーナーがあり、そこに祈りについての様々なコメントが書いてあった。
日頃、祈りとは何かを模索している者として、興味ある内容であった。ご紹介しよう。
祈りほど悪魔の恐れるものはないことを知っているでしょうか。祈らせない、ということが悪魔にとっての一大関心事なのです。
私たちが祈らないで奉仕に専念することを、悪魔は心から望んでいます。
いくら熱心であり、ひたすら聖書を学んだとしても、そこに祈りがないなら、悪魔は少しも恐れません……「ある英国の説教者」
十五分の祈りーこれがたいへん難しく、静まると頭の中に、あ、洗濯機のスイッチ押しておけばよかったとか、ためている用事とか、
人と交わした会話とかがつぎつぎと出てきて、静まるにはほど遠い。それを無理やりおしこめるのではなく、「そうそう、そういうこともあったね。
それについてあとでゆっくり取り組もう」と、わがたましい、に語りかけてやり過ごしていくうちに、静まりが訪れることを学んだーそしてその
静まりの中で主を呼ぶ。……「静かな風」
ああ神よ、祈りにおいて直接あなたに近づく前に、いろいろな思いをまとめて、心を整えることができるようにしてください。
宇宙の主権者なるあなたに語りかけるという特権が与えられているのですから、自分の心をよく見張ることができますように。
私の成功は、私のたましいの状態しだいであることを忘れないように助けてください。あなたはあまりにも偉大な方です。
そしてあまりにも賢明な方なので、見せかけのデボーションなどで欺かれることがありません。
そして、あなたは心の伴わないいけにえを嫌われます。形式的にあなたを仰ぎみることがないよう、私がいつもあなたを完全に覚えることが
できますように。あわただしく祈ったままで仕事につくことがないように助けて下さい。アーメン……「スザンナ・ウェスレーの祈り」
詩篇一一九篇一四七節に、「わたしは朝早く起き出て呼ばわります。わたしはみ言葉によって望みをいだくのです」とある。
先ず神との命の交わりである祈りと聖書の黙想を通して、一日を始めていきたいものである。
これが両輪となって実り豊かなデボーションができ、霊性が引き上げられてゆく。