石叫■          「ムーディの貢献」

 現在、「霊声」の原稿を書いているが、その一部を紹介しよう。一八八九年に北米日系人の間にリバイバルが起こっている。
その発起人はM・C・ハリス宣教師であり、やがてこのリバイバルが北米ホーリネス教団を生み出してゆく。
さて、このサンフランシスコを中心として起こったリバイバルであるが、その背景には、アメリカのキリスト教会自体のリバイバルがあった。

一八七一年以降、大衆伝道者D・L・ムーディはゴスペル・シンガーのアイラ・サンキーと共に、「ムーディは福音を説き、サンキーは福音を歌う」
という名コンビを組んでクルセード運動を展開、それはボストンからサンフランシスコ、サンディエゴに至る全アメリカの都市で多くの聴衆を集めていた。
その生前の伝道で、約五千万人に福音を説き、百万人を救いに導いたと言われる。特に中国伝道の覇者ハドソン・テーラーに会ってからは、
異文化伝道に興味を持ったが、それは少なからず日系人伝道にも影響を与えたのでなかろうか。

 ムーディは聖霊に満たされてご用をすることに重きを置いたが、そのためには彼の背後で祈っている二人の老婦人の絶えざる祈りがあった。

 エペソ書でパウロは、「むしろ御霊に満たされて……主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい」(五・一九)と命じているが、
リバイバルの背景には、聖霊に委ねることを訴え続けたムーディの働きが大きかった。

ムーディが創設した聖書学院は、かつて夜間学生を加えると四千五百人を数えたという。以前そこをシカゴ・レーキサイド教会の鈴木光夫師と訪れた時に、
記念館に日本ホーリネス教団の監督となった中田重治の名前が記されてあるのを見た。
彼はそこで一八九七年に聖霊経験をし、灯された聖霊の火を日本に点火したのであった。中田をアメリカで出迎えたのもM・C・ハリスであり、
さらにムーディ自身の励ましを受けて帰国している。日本のホーリネス傘下の教会もムーディのリバイバルの流れを汲んでいると言える。

彼は一八九九年に召されているが、ムーディ達による信仰復興には彼らの感化を受け、また彼らの後を受け継ぐかたちでR・A・トーレイも大きく貢献している。
彼はムーディ聖書学院の初代の校長となっている。

またアメリカではムーディより半世紀前にはチャールズ・フィニーによる信仰復興があり、さらに 十八世紀には二回の大覚醒運動が起こっている。
そのような霊のうねりの結集によって、日系人のリバイバルが起こったのであった。