石叫■          「ラルフ・カーの信念」

一九四一年十二月七日(アメリカ時間)真珠湾攻撃の後、日系人十二万人は十っ箇所の強制収容所に隔離された。
そんな中で日系人を決して迫害してはならぬと言って、終始擁護してくれた人物がいた。それがラルフ・カー、コロラド州知事だ。
彼は言った。「この国で生まれ育ったという事が幸運でなかったと思う人々に、私たちは友人としての手を差し伸べ、日系人も私たちと同様、
アメリカは安心して住める国だということを知ってもらいたい」。この直後から脅しの電話が殺到した。
でも彼はくじけなかった。それには一つの信念があった。それはアメリカの憲法は、アメリカ市民である限り、その権利は守られるべきであり、
いかに戦闘状態であっても例外を作ってはならないと信じたからであり、それにアブラハム・リンカーに傾倒していた彼は、
彼の貫いてきた信念に、自分も拠って立つべきだと信じたからに他ならない。

そのリンカーンの信念とは、次のようなものである。「私がこの地上で願う一つの願いがあるとすれば、一人の真実な友を得るためなら、
たとえ私が他のいかなる友人を失ったとしても厭わない」ということだ。これは恐らく、奴隷解放のためならば、他のすべての同胞を失っても
構わないという考えが背後にあるのだと思う。これは実は主イエスの生き方であった。

主イエスは大勢の人々に対する伝道はもちろんだが、一人の失われた魂を求めて伝道されている。その一例だが、ガリラヤ湖岸のゲラサ人の地で
墓場を住みかとし、けがれた霊につかれた一人の人物がいた。彼は人々からまったく見捨てられた人であった。でも主イエスは彼に会いに行く。
悪霊から解放するためだった。そのために荒波の中を危険を犯してまで出かけて行った。

でもなぜ主は効果的な大衆伝道よりも、そのような一人の失われた魂を求めて行かれたのであろうか。
それは、「この人もアブラハムの子なのだから」(ルカ19:9)とあるように、それらの人たちも神である主イエスの目から見たならば、
神の救いという祝福を受け継ぐべきアブラハムの子孫であり、決して失ってはならない大切な大切な存在だったからだ。

 今、カー州知事こそが、「本当のアメリカ人」であるとして、コロラド州のあるフリーウェイが、彼の名にちなんで命名されたという。
それにしてもよくぞ勇気を奮い、文字通り命を賭けて、私たちの先達を終始擁護してくれたものだ。

心からありがとう! 私たちもその信念を受継ぐものでありたい。