石叫■            「最高傑作」

 これは司馬遼太郎の『歴史を紀行する』という本の中にあったものだ。これは愛読書の一つであり、
僕の琴線に触れた部分だ。ご紹介しよう。

 「会津藩というのは、封建時代の日本人がつくりあげた藩というもののなかでの最高の傑作のように思える。
三百にちかい藩の中で肥前佐賀藩とともに、藩士の教育水準がもっとも高く、さらに武勇の点では佐賀をはるかに抜き、
薩摩藩とならんで江戸期を通じての二大強藩とされ、さらに藩士の制度という人間秩序をみがきあげたその光沢の
美しさにあってはどの藩も会津藩に及ばず、この藩の藩士秩序そのものが芸術品とすら思えるほどなのである。
秩序が文明であるとすれば、この藩の文明度は幕末においてもっとも高かったともいえるであろう。

 幕末、幕府はこの藩を京に常駐させようとした。当時の京はいわゆる無警察状態におちいっていた。
幕府にすれば三百年、武力の真空地帯として京の体制を規制しつづけてきたが、ここに強力な藩を常駐せしめねばならず、
その選に苦心し、ついに会津藩に白羽の矢をたてた。だが、家老たちは「いまこの難局にあたってその任をうけるは、
(たきぎ)をせおって火中にとびこむがごとし」と言い、極力幕命を辞退するよう申しのべたが、
しかし、幕閣の事情はそれをゆるさず、ついにうけざるをえなかった。うけた時、
「されば君臣ともに京の地をもって死所とせん」と一同相擁するがごとく泣いたという情景は、
のちの会津藩の運命を考え合わせるとき、われわれ史書を読む者はこの事を濃厚に記憶してやるやさしさをもたねばならない

さて、なぜ藩の傑作ができたかというと、藩祖保科正之という明君であった。
徳川初期の日本人にはめずらしいほどの思想的教養人であった」。

会津藩が日本人の作り上げた藩の最高傑作だとすれば、神の最高傑作は神の愛の対象である人間である。
パウロはエペソ書において、
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られた」(二・十)と宣言する。
私たちは神の御手によってひとりひとり心を込めて造られたというのである。
その目的は何かというと、日本人伝道であり家族の救いである。

この難局にあたって、明君どころではない、神ご自身がその任をうけて欲しいとあなたに迫っておられるのである。
それはあなたしかいないからだ。そう信じて神はあなたに声をかけておられる!