石叫■ 「斜か正面か」
東大医学部名誉教授の養老孟司氏の「養老訓」という本の中に、興味深い内容のものがあった。
「他人とは直角に交わる」というタイトルだ。
コスタリカに行ったときに面白いことに気がつきました。レストランで食事をする恋人同士や夫婦が、
横に並んで食べていたのです。
彼らは「向かい合うとろくなことはない」と気がついているのではないでしょうか。
イタリアでも恋人同士ならば直角に並んで食べるそうです。だから夫婦は直角に向かい合うのが正しい、
と私はいつも言っているのです。
これまでによく例にあげてきたのが私と女房との会話です。あるとき、女房がしみじみ言ったことがありました。
「あなたは、ほんとうに人を見る目がないわね」私は女房の顔を見ながら、こう言いました。
「ほんとうにそうだよね……」大切なのは、これで揉めもせず話は済んでいるという点です。直角はなぜいいか。
夫婦は二人で暮らすのだから、外から見ると、必ず合力になります。二つのベクトルが直角になっている時に、
力はいちばん大きくなります。
いちばん無駄なのは、お互いが向いている方向が正反対の時です。いくらなんでもすべて考え方が正反対では夫婦になれません。
まったく同じ向きはどうでしょう。これは良いようで、そうでもない。実は長いほうで済んでしまう。
力はなかなか足せないので、長いほうだけあればいい。たとえば「それは奥様のおっしゃる通り」ということになる。
うまくいくかもしれないが、他人同士が一緒にいる意味があまりない気もします。
さあ、これを読んで、先ず神と私たちの関係はどうかと考えた。ヨハネ伝1章冒頭に「言葉は神と共にあった」という御言葉であるが、
これは“顔と顔を合わせる”という意味である。つまり主イエスと父なる神とは、向き合っているという関係である。
二人は一つであり、相手の一挙手一投足に一喜一憂する間柄であるから、斜には構えられないのである。
これが夫婦で海辺のレストランなどで斜に座るとなると、お互い一緒に遠くのものを見つめたり、
相手の目を気にしないで語ったり出来るので便利である。同時に見つめる時も、お互いに全体というよりも斜めの顔を見るので、
心にゆとりが出来るというメリットがある。斜に座るというのは、お互いの立場を考えた知恵なのであろう。
でも、その前に肝心なのは神との関係である。
斜では困る。
それはいつも向き合う関係でなければならない!