石叫■ 「新年聖句」
「あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである」
(詩篇六五・四)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フィゲロア清子姉
「わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない」
(エレミヤ三一・二十)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬場隆太郎兄
「人はパンだけで生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに
知らせるためであった」(申命記八・三)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬場多津子姉
「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい」(コロサイ四・六)・・・・トベツ三代子
「わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください。わたしはあなたに祈っています」
(詩篇五・二)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・猪飼弘子姉
「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだって
あなたの神と共に歩むことではないか」(ミカ六・八)・・・・・・・・・・・・・・・・・・糸山愛姉
「しかし、主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(イザヤ四十・三一)・・・・・・・・星喜恵子姉
「人はパンだけで生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに
知らせるためであった」(申命記八・三)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・スクーラー寿美子姉
「あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむ
ことをも賜わっている」(ピリピ一・二九)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大橋照代姉
「光の子らしく歩きなさい」(エペソ五・八)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・古谷典子姉
「見よ、神に戒められる人はさいわいだ」(ヨブ五・十七)・・・・・・・・・・・・・・・・水落公子姉
「見よ、神はわが救いである。わたしは信頼して恐れることはない」・(イザヤ十二・二)・・藤井千鶴子姉
「きよくなければ、だれも主を見ることはできない」(へブル十二・十四)・・・・・・・・・杉村節子姉
「おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである」(エレミヤ十七・七)・・・・・小野静江姉
「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・
イエスにあって満たして下さるであろう」(ピリピ四・十九)・・・・・・・・・・ニューカム・キミ姉
「きよくなければ、だれも主を見ることはできない」(へブル十二・十四)・・・・・・・・・幸保恵子姉
「そういうわけだから、肉体を宿しているにしても、それから離れているにしても、
ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである」(Uコリント五・九)・・・・・・・吉井幸子姉
「わたしは命じる。御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない」
(ガラテヤ五・十六)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・星出久兄
「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」
(ヨハネ四・十四)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小林邦夫兄
「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」(Uコリント四・十八)大久保文子姉
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい」
(コロサイ三・二三)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・星出久子姉
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ十四・一)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・畑中トシ姉
「神はなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、
いっさい神にゆだねるがよい」(Tペテロ五・七)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉井忠義兄
「神は…万事を益となるようにして下さる」(ローマ八・二八)・・・・・・・・・・・・・長橋クニ子姉