石叫■ 「ヘレン・ケラー」
ゴスペル・ベンチャー教会の月報「飛脚」にヘレン・ケラーの記事が載った。
彼女の生き方に心を打つものがあったので、その一部をご紹介しよう。
ヘレン・ケラーは一八八〇年に生まれ、一九六八年に天に凱旋するまで、「光の天使」と言われる程に世界に
希望をもたらした人物である。生後十九ヶ月で熱病のために目、耳、口に三重苦の障害を負ってしまった。
その彼女はサリバン先生の献身的な愛の働きで、水という言葉を知ったのだった。
彼女は四十年間、聖書を通読している。「聖書は羊飼いの杖のように私を導き、私が道を誤らないように守ってくれます。
聖書だけが人々に救いを与え暗闇から救い出してくれると信じています。この世の全ての人々が互いに愛して止まない
イエス様の教えに従って歩むなら、必ず素晴らしい生涯を送ることができるでしょう」。
彼女はまた次のような言葉も残している。
「希望は人々を成功に導いてくれる信仰である。希望がなければ何事も成就できない。
私の生涯に降りかかってくる全ての苦難は天が無代価で注いで下さる恵みである。他人には私の歩む道が暗闇に見えるだろうが、
私は心の中に神秘な光を持っている。信仰という力強い霊的な光が私の道を照らしてくれるのである。
人間にとって一番の不幸は見えない事だ。しかし、もっと不幸な事は目を持っていても見えない事である」と。
ヨハネ伝で、「イエスは言われた、『もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。
しかし、今あなたがたが{見える}と言い張るところに、あなたがたの罪がある』」(九章)とあるが、
パリサイ人は、自分たちには律法もあるし、神の世界はすべて知っていると考えたのだ。
でも、そういう彼らには主イエスが見えず、ついには十字架にかけて殺してしまう。
人が一生懸命に頑張って見えるのはせいぜい自分の正当性だけである。人は神に出会って初めて自分が盲人であると気付くからだ。
神に出会って始めて自分の内側にある罪に気づき、その自分におののくのではないか。
友よ、自分は何か出来る、何か知っていると寸分たりとも思うなかれ。それがあなたを盲目にする。
逆に謙虚に主におすがりする時に、心の目が開け、信仰という希望の光が差し込んで来よう。
神の前に謙ってその世界を見せてもらうことが心の目を開くことであり、それは聖書を読むことから始まる。
そのようにして、あのエマオの途上の弟子達のように、心の目よ開かれよ!