石叫■         「愛する人よ、美しく」

 今回の紅白歌合戦の男性軍の「とり」で五木ひろしが「ちぎり」を歌った。
作詞家、阿久悠の作である。その内容が心にジーンと響いてきた。

 あなたは誰とちぎりますか 永遠(とわ)の心を結びますか 

 波のうねりが岸にとどく 過去の歌を乗せて 

 激しい想いがくだける 涙のように 

 緑は今もみずみずしいか 乙女はあでやかか 

 人の心はかもめのように真っ白だろうか 

 愛する人よ 美しく 愛する人よ すこやかに 

 この歌詞の中で、一番心に残った言葉が、「愛する人よ 美しく」であった。
人は誰でもいつまでも美しくありたいと願うが、年輪を増してゆくことは避けられない宿命である。
でも美しさは何も外見だけではない。人の美しさは、その心にある。謙虚さにある。そして信仰にある。

 旧約聖書の中で美しい女性と言えば、アブラハムの妻サラに始まって、その子イサクの妻リベカ、
イサクの子ヤコブの妻ラケルなどは、その美しさを誉めたたえられている。そのたぐいたるや枚挙にいとまがない。

一方、新約聖書では信仰の美しさを説く。その最たる人物は主イエスに関連する女性たちである。
その中でもあふれる美しさを持っていた女性は、私にはベタ二ヤとマグダラのマリヤ達であるが、前者を取り上げてみよう。

 彼女は死んだ弟ラザロを甦らせてもらった。そのお礼もあったと思うが、それによって主イエスこそ来るべき
キリストであるという確信を持つのだった。そこで彼女は宝のように大事にしていた一年分の給料に匹敵するナルドの香油を
惜しげもなく主イエスに注いだのである(ヨハネ十二章)。
さらには自分のもっとも大切な髪で、旅で汚れている主の足を拭いたのだった。
それは奴隷の仕事であったのだが、主はその行為を喜ばれている。

それほどまでに感謝と賛美に満ちた礼拝を僕は知らない。彼女は実に心の美しい信仰の人だったに違いない。
その同じ主イエスが、十字架上であなたの罪を赦すために死んで下さり、また再び花婿として私達を迎えるために来られるのだ。
花嫁としてのあなたが心待ちに待ってくれる事を願って、「愛する人よ、美しく」と今も叫んでいるのである。

その主の叫びに応えることが信仰であり、そこに永遠に変わらぬ輝く美しさがある。