石叫■           「自信」

 遠藤周作の「勇気ある言葉」(集英社・一九七八年)に次のようなくだりがある。
勝負の世界に共通するものがあって面白いと思ったのだ。

相撲の親方とこの間、話をしていた。その親方とは元の若乃花、今の二子山親方である。
かつての若乃花の上手投げは実に豪快でみごとだった。その秘密は? とたずねると、相手の呼吸に
注意して投げる。相手が息を吐いた時、やればきまるのだという。
同じようなことを剣道をやっている友人に聞いたことがある。相手が息を吐いた時、撃ち込むのだと
その友人も言っていた。息を吐いた瞬間、体の筋肉がゆるむ。その時が相手の隙なのだそうである。
二子山親方に私はまた、こんな質問をした。

「三役になると急に今までやせていた力士がふとりはじめるが、何か特別な食べ物でもあるものですか?」

「食べものなどないです。当人の自信がふとらせるのです」

「横綱の定義はなんでしょう?」

「必死になってやっと十勝をこえるぐらいでは横綱ではない、
 余裕をもって十勝をこえられる力を蓄えてこそ横綱です」

かつて元横綱の大鵬氏に、あなたがなかなか負けないのはなぜですかとたずねたら、
自信ですと答えたのを覚えている。

  自信過剰はもちろんいけない。特におのれの考えや思想に自信を持ち過ぎる者は人間失格になる。
時々私も若い後輩の原稿を読まされる。その時そこに欠点があっても、長所のほうを探して、
ほめるようにしている。

「前より、うまくなったなア」

この一語だけで批評するよりも彼が成長することが私の経験で分かったからである。

聖書に、「人は口から出る好ましい答えによって喜びを得る、時になかった言葉は、いかにも良いものだ」
(箴言十五章)とある。

私たちは人をほめるということはあまりしない。むしろ短所を指摘することの方が多い。
でも、一言の励ましの言葉はどれだけ相手を力づけ、自信を持たせるだろうか。

自信でふとるのは良いが、ふとり過ぎも困る。それは自信過剰なのかどうかは分からないが、時に、
「少し恰幅が出るようにふとったらどうですか」と言われる。

それは励ましと受け取っても良いのか私には自信がない。