石叫■          「一人だけの幸せ」

 「あの人に会いたい」というNHKのアーカイブ(歴史公文書)番組がある。名脇役として知られた女優、
沢村貞子の出番であった。彼女は平成八年、八七歳で召されている。その中の最後のしめくくりが共感を呼んだ。

 彼女は一九〇八年に浅草で生まれ、芸能一家に育った。女子大在学中に演劇に惹かれ、プロレタリア演劇運動の
築地劇団に入る。でもその活動が治安維持法に触れ、一年八ヶ月間監獄に入らねばならなかった。
出所後、映画女優になり三八歳で、新聞記者の大橋恭彦(やすひこ)と結婚する。

 彼女は女優として、生涯、脇役に徹した。「役者は、華がなければダメ。華があっても年取るとダメ。
でも、自分は一生やりそうだから脇役になるって決めた」という。やがて彼女は大物脇役としての地位を確立してゆく。

 彼女は夫との家庭生活を何よりも大切にし。夫のためには毎日台所に立った。二泊以上の仕事は断ったし、
同じレシピが続かないようにした。エッセイを書き始めたのも夫の雑誌の仕事を助けるためであった。
夫だけの生計ではやってゆけなかったからだ。自分の半生を綴った「貝のうた」は、日本エッセイスト賞を受賞し、
「わたしの浅草」はベストセラーにもなった。

 平成元年八〇歳で女優引退。湘南での二人暮らしの中で、「彼のプライドを傷つけないよう、好きなだけ
いばってもらいました」という。五年後に召された夫の日記に、「こんな楽しい老後があろうとは思わなかった。
これはみんな優しくて頭の良い貞子のおかげた。僕は幸せだった」とあった。彼女は涙が止まらなかったという。
そして嬉しそうに言った。
「若い時はいろんな活動をしても誰も幸せにはできなかった。でも一人だけ幸せにできた」と。

ルカ十九章に、「きょう、救いがこの家にきた」とある。主は人々から捨てられ、天蓋孤独の中にあった
エリコの街の税金取り「ザアカイ一人」を救い出すために、彼に近づいたのだった。彼にも神の幸せに
あずかって欲しかったのだ。世間は彼を捨てても主は彼を見捨てはしなかった。それが彼の心を変え、
多くの人々に幸せをもたらす人物に変えられたのだった。

沢村さんの場合も、「一人だけ幸せに出来た」と言ったが、これほど謙遜で美しい言葉を私は知らない。
身近な者にそう言ってもらえることほど嬉しい言葉はない。また一人にそう言わせた人物であればこそ、
回りをも幸せに変えていったのであろう。彼女の人気が今にそれを物語っているではないか。