石叫■            「手間ひま」

 津軽の姉からビデオをいただいた。その中にプロフェッショナルという人気番組が入っていた。
津軽のりんご栽培農家が、農薬も肥料も使わない自然農法で、一個三百円のりんごをインターネットで出すと、
十分で完売するという。その仕掛け人、木村秋則氏五七歳のドキュメントであった。

 そのような自然のままのりんごが出来るまでには血の出るような戦いがあった。彼は二二年前までは
農薬を使っていたのたが、それをすると皮膚がかぶれ、妻も寝込んでしまうようになっていた。
ところがある日、本屋で読んだ自然農法の本に衝撃をうけ、ぜひそれをやってみようと考えたのだった。
ところが、いざ実践してみると、害虫が増え、葉は枯れ、ついにはりんごの木自体が腐り始めたのだった。
万事手を尽くしてやってはみるが何年経っても、りんごの木には実が実らなかった。そして六年目のある日、
家族にもうこれ以上負担は掛けられないと思い、死ぬつもりで岩木山に登った。その時、道ばたに実がたわわに
実っているどんぐりの木を見た。肥料も農薬もやらないのに、どうしてこうなるのかと思って、
土を掘り起こしてみると、それは実に柔らかい。それが木村さんの心に響いたのだった。家に帰って、
早速土壌造りが始まった。農薬スプレーの車を入れると土が固まってしまうので、機械を入れず、すべて手作業で
取り掛かることにしたのだった。つまり、りんごの木が育ち易いように環境造りに徹したのだった。
六百本もあるりんごの木に手づくりの酢でスプレーをすると三日も四日もかかる。機械を使えば一時間半で
出来るところを、なぜ、手間を惜しまないかというと、本当にりんごの木を救いたいと思えば、手間を惜しんでは
いけないと思ったからであった。そして八年目の春、りんごの木にみごとな白い花が咲いていた。それはりんごが
彼の愛に応えてくれた瞬間でもあった。木村さんはそれを、「満身の力で花を咲かせている」と言ったが、
りんごの気持ちを知った者だけが言える言葉でもあった。

 聖書に、主が私たちのために十字架上で命を捨てられたので、「わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを
捨てるべきである」(第一ヨハネ三章)とある。木村さんがりんごの木を救うためには、
手間ひまを惜しまなかったように、主は愛する私たちのために手間ひまを惜しまぬばかりか、
最高の手間ひまである命をも惜しまなかったのである。それが神の愛であった。