石叫■           「天に勝つべし」

 この夏に津軽に帰った時のことだ。母の米寿の祝いも兼ねて、家族四人で黒石の「おちあい温泉」に一泊した。
そのホテルの売店にあったのが、山下康博著、「天に勝つべし」(北の街社・二〇〇四年発行)という本であった。

それは今から百年ほど前に青森県で起った八甲田雪中行軍の話しである。
ふつうは青森歩兵第五連隊の遭難事件だと思われているのだが、その本は同時期に行われた弘前歩兵
第三十一連隊の話しでもある。彼らは一人の脱落者もなく全員二四二キロメートルの行程を踏破して
無事弘前に帰っている。


 青森第五連隊二百二十名の出発は明治三十五年(一九〇三年)一月二十三日であり、弘前の三十一連隊
三十八名はそれより三日前の一月二十日であった。青森隊は二泊三日の計画だが。弘前のそれは十泊十一日であった。

 雪中行軍で一番気をつけなければならないのは、汗をかく事だそうな。氷点下の中で汗をかくと
その部分が凍ってしまう。青森隊は情報不足で、ほとんどこれに気がついていなかった。
ましてやその年の一月二十三日からは、それまでの気象観測史上記録にない寒波が北日本を襲っていた。
二十四日は北海道の旭川で氷点下四十一度を記録している。これはいまだに破られていないという。
青森隊は重いソリを引っ張って行った。しかも七メートルから十メートルの雪中をラッセル(雪かき)してゆく。
当然、兵は汗をかく。そのような中で兵たちは凍傷にかかっていった。汗をかいた所から腐る。
手指が凍ってしまうと小用が足せない、中で漏らすとたちまち凍ってしまう。そうなると死ぬしかない。
それによって青森隊は百九十九名が亡くなっている。

一方、弘前隊は汗をかかないように気を配った。ラッセルは十五分ごとに交替した。
それ以上やると汗をかくからだという。これが決定的な違いとなった。弘前隊は福島泰蔵大尉が人員を選び、
情報を集め、準備に万全を帰す。つまり人事を尽くしている。その上でいよいよ難関に指しかかった時に、
これからはいよいよ、正念場であると自分自身を奮いたたせ、号令をかけ、この苛酷な自然に負けるな、
「天に勝つべし」というふうに激励した訳だ。

 パウロは、「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」
(Uテモテ四章)と言うが、彼は神の命ずるままに人事を尽くした人物である。
それゆえに彼は、その結果を天に委ねることが出来たのだが、そう言う彼こそは、「天に勝った」者とは言えまいか。