◎石叫■           「日本建築と魅力」

 先日、シカゴからノース・イースタン大学でカウンセリングを講じておられ、この五月に
退職されたばかりの村田アリス先生の訪問を受けた。このたびシカゴ・レーキサイド教会の
歴史資料収集のために来て下さったのだ。そこで先生をお連れしてロサンゼルス教会内の、
レーキサイド教会の初代 牧師・葛原定市師の記念ライブラリーを見ていただいた。
その後ダウンタウンの日系博物館にお連れした。実は村田先生と博物館とは深い関わりがあり、
何冊かのご自身の書物も献じており、スタッフの何人かとも親しくしておられたのである。
一通り館内を見た後、購買店に立ち寄った時、ふと「太平洋を渡った日本建築」
(二〇〇六年・NTT出版)という書を手にしたのだが、それは村田先生がシカゴの日本庭園を
話して下さった事がきっかけだった。

 そこでの中心人物はフランク・ロイド・ライトという建築設計家だ。彼は帝国ホテルを設計した
人物として知られ、関東大震災にもびくともしなかった建物である。その彼はシカゴ近郊に
事務所を構えていた。その彼が初めて目にした日本建築が、一八九三年にコロンブスのアメリカ大陸発見
四五〇年を記念したシカゴ大博覧会であった。その入場者数は二千百万人以上を越えたという。
日本はそれより二十年前のウィーン万国博覧会以来、並々ならぬ気合いをもって参加していた。
海外への飛躍を目論んでいた日本政府は、そこに宇治平等院の「鳳凰殿」のレプリカを建立した。
それには連日のように観衆が殺到したという。当時、ライトはその博覧会の「交通館」の設計監理の
任に就いていた。したがってこの会場で鳳凰殿に出会った一人だった。それ以前にすでに浮世絵に
魅せられていたライトが、千載一隅のチャンスを見逃すはずはなかった。
博覧会終了後も鳳凰殿は同じ場所に保存されていたから、おそらくはここをたびたび訪れ、
観察を続けたことであろう(一九四六年に火災で焼失)。
以後、ライトの建築工法に日本的側面が反映されることになる。それ以来四百余もの建築物が日米に
展開されることになる。

 ライトは鳳凰殿に魅せられることによって、その人生が変えられたが、一方、漁をしていた
ペテロたちは、「わたしについてきなさい」(マタイ四章)の一言で、すぐに網を捨ててイエスに
従っている。主の言葉に力があったからであり、その言葉に魅せられたからでもある。
福音はそのように人を魅了して止まないものがある。その生き生きとした魅力にあなたは生きているか。