「恐れを越えさせるもの」

 また「偉人はかく教える」からメッセージをお届けしよう。

ワーテルローの戦い(一八一五年の英仏戦争でナポレポンが惨敗を喫する)の時、前線にあるイギリスの部隊から、
敵のざんごうに近づいて爆弾を投下するために二人の勇士が選ばれた。二人とも見事にその大任を果たして帰って
きたので、恩賞にあずかるためにウェリントン将軍の前に出された。将軍が自分の前に現れた二人を見ると、一人の
兵士は何と、自分がどのような大任を果たしたかと言うことさへ無頓着な顔をしているのに、もう一人の兵士は、
顔色が青ざめ、こんな男がどうしてあんな大任を果たしたかと思われるほど、恐ろしさに肩を振るわせて口もろくに
きけない様子であった。その様子があまりにおかしいので、居並ぶ兵隊たちが笑い出した。するとウェリントン
将軍は、平然として立っている兵士を指しながら言った。「この男は恐れを知らぬ勇者だ。しかし、」と今度は、
ぶるぶる震えながら立っている兵士を指差して、「この震えている男にいたっては、恐れを知ってなお進んでゆく
ことの出来る勇者だ。あの男は平素からよほどの臆病者らしい。だが、自分に課せられた使命を果たすためには、
誰よりも大胆に行動の出来る男だ。だから、あの男が震えているからといって、決っして侮ってはならぬ。わしは、
ああいう、命令に忠実な男がいるのを見て、イギリス軍の勝利は確かであると思った。恐れを知って、しかもこれを
恐れない者こそ真の大勇者だ」。居並ぶ兵士たちはこの一言に胸を打たれて、たちまち静粛となった。

 箴言一章に、「主を恐れることは知識のはじめである」とある。これは箴言の中心聖句と言われるものだ。
「恐れを知って、しかもこれを恐れない者こそ大勇者である」という将軍の言葉こそ、この箴言の、否、聖書の本髄を
突いたものであると言えよう。いつ自分が死ぬかも知れないという恐怖の中で、それを越えるものは与えられた
使命でしかないからだ。

パウロは、「わたしはこの福音のために使節(大使)」(エペソ六章)だと言ったように、彼のそれは福音の
使者としての使命であった。神を恐れかしこむ者として御前にひざまずいた時に、十字架についてまで愛したその
神の愛が判ったのだった。それ以来、彼は命をも投げ出して福音を伝えたのだった。神を恐れるとは、その背後に
ある神の愛を知ることであり、それが神の智恵だと判った時、彼はもう命を投げ出すことを躊躇しなかったのだ。